
川口春奈さんはどんな学歴があるんだろう?
このように気になった方も多いのではないでしょうか。
五島列島で生まれ育ち、のびのびとした幼少期を過ごした川口春奈さんですが、中学時代に芸能界入りを果たし、東京へ転校。
その後、堀越高校へ進学し、仕事と学業の両立に奮闘しながら女優としての道を歩んできました。
この記事では、川口さんの生い立ちや家族構成、小学校・中学校でのエピソード、そして高校時代の芸能活動まで詳しく紹介。
さらに、大学には進学せずに女優業に専念した理由についても掘り下げていきます。
彼女の知られざる学生時代や、芸能界入りのきっかけ、転校の理由などが気になる方は、ぜひ最後までご覧ください。
川口春奈の出身地と家族構成
長崎県の離島、五島列島に生まれた川口春奈さん。
豊かな自然に囲まれた環境で育ち、幼少期から元気いっぱいな女の子だったそうです。
そんな川口さんの生い立ちや家族構成を詳しく見ていきましょう。
長崎県五島列島で生まれ育つ
川口春奈さんは1995年2月10日、長崎県の五島列島にある福江島で生まれました。
五島列島は長崎県の西側に位置し、美しい海や自然に恵まれた地域です。
特に福江島は、列島の中でも最も大きな島で、五島市の中心地として知られています。
幼少期を過ごした川口さんにとって、この島の風景は特別なものだったようです。
海や山に囲まれた環境で育ち、子どもの頃から外で遊ぶことが大好きだったと言いますね。
島ならではのゆったりとした時間が流れる中で、のびのびと成長していきました。
五島列島は交通の便が決して良いとは言えず、福江島から本州へ移動するには船や飛行機が必要になります。
特に船での移動には時間がかかり、福岡までフェリーで8〜9時間ほどかかることもあるそうです。
そんな環境で育った川口さんですが、後に芸能活動が忙しくなるにつれ、この移動の大変さを痛感することになります。
母子家庭で育った幼少期
川口春奈さんは三姉妹の末っ子として生まれました。
家族構成は、両親と二人の姉の5人家族でしたが、川口さんが幼い頃に両親が離婚。
それ以降は母親が3人の娘を育てる母子家庭で生活していました。
母親は地元の介護施設などで働きながら、娘たちを支えていたそうです。
経済的に決して余裕があるわけではなかったものの、母親は一生懸命働き、子どもたちにできる限りの愛情を注いでいました。
母親が仕事で忙しい時は、姉たちが川口さんの面倒を見てくれることも多かったようですね。
そんな家族の絆の深さが、現在の川口さんの人柄にも影響を与えているのでしょう。
家族との関係は今でもとても良好で、特にお母さんのことをとても尊敬しているのだとか。
母の日にはプレゼントを贈るなど、日頃の感謝を忘れずに伝えているそうです。
また、お父さんとは離婚後も関係は良好でしたが、川口さんが19歳の時に事故で亡くなっています。
自転車で帰宅途中に畑に転落し、そのまま帰らぬ人となったそうです。
突然の別れに川口さんも大きなショックを受けましたが、悲しみを乗り越えて前へ進んでいきました。
幼い頃から「美少女」と評判だった
川口春奈さんは幼少期からとにかく可愛らしい顔立ちをしており、地元では「美少女」と評判だったそうです。
近所の人たちが「川口さんの赤ちゃんを見たい」と家に訪れることもあったとか。
それほどまでに愛らしい姿だったんですね。
また、元気いっぱいな性格で、自然の中を走り回るのが大好きな子どもでした。
夏になると日焼けで真っ黒になりながら遊んでいたというエピソードもあります。
家の中でじっとしているより、外で活発に動くのが好きなタイプだったのでしょう。
小学生の頃には地元の釣りを楽しんでいたそうですが、なんと生きた魚を触るのが苦手だったそうです。
それでも釣りをすること自体は楽しかったようで、誰かに魚を外してもらいながら続けていたとか。
この頃から、周りの人と一緒に楽しむことが好きな性格が垣間見えますね。
さらに、幼い頃から人を笑わせるのが得意で、学校ではギャグを連発していたと言います。
周りの友達からも人気があり、常に笑顔が絶えない存在だったのでしょう。
こうした明るい性格と魅力的なルックスが、後に芸能界に入るきっかけとなっていきます。
次のステップである小学校時代には、どんなエピソードがあったのでしょうか。
小学校時代のエピソード


川口春奈さんは、長崎県の五島列島にある福江島で小学校時代を過ごしました。
自然豊かな環境の中で、活発な性格の子どもだったそうです。
地元の学校に通いながら、家族や友人と楽しい日々を送っていました。
出身小学校と通学環境


川口春奈さんが通っていたのは、長崎県の福江市立福江小学校です。
現在は市町村合併により五島市立福江小学校に名称が変わっています。
福江小学校は五島列島最大の島である福江島にある公立小学校で、のどかな地域に位置していますね。
五島列島は本州からのアクセスが決して便利とは言えない地域ですが、島内には必要な施設が整っており、地元の子どもたちは基本的に徒歩や自転車で学校に通います。
川口さんも例外ではなく、小学校時代は友人たちと一緒に歩いて通学していました。
毎日、青い空と海を眺めながら通学する生活は、とても贅沢なものだったでしょうね。
また、五島列島の小学校ならではの行事やイベントも多く、島ならではの自然体験ができる環境が整っていました。
川口さんも、学校生活の中で自然と触れ合う機会が多かったようです。
活発な子ども時代!釣りや木登りが大好き
川口春奈さんは幼い頃からとても活発な女の子で、外遊びが大好きでした。
特に好きだったのが、釣りや木登りです。
五島列島は漁業が盛んな地域であり、川口さんも幼少期から釣りを楽しんでいたそうですね。
驚くことに、小学生の頃には一日で300匹もの魚を釣り上げたこともあるのだとか。
ただ、実は生きた魚を触るのが苦手だったそうで、釣れた魚の針を外すのはいつも誰かに頼んでいたといいます。
このギャップが何とも可愛らしいですね。
また、木登りも得意で、よく近所の木に登って遊んでいたそうです。
外で遊ぶのが好きな子どもだったため、夏場は日焼けで真っ黒になることもしばしば。
まさに自然児といった感じの幼少期でしたね。
さらに、周りの人を笑わせるのが得意で、小学生の頃からクラスのムードメーカー的な存在だったとか。
ギャグを言ったり、おどけた仕草をしたりして、友達を楽しませていたそうです。
この頃から、人を喜ばせることが好きだったのかもしれませんね。
小学生時代の夢は保育士
活発な子どもだった川口春奈さんですが、小学生の頃は意外にも「保育士になりたい」と思っていたそうです。
小さい子どもが好きで、将来は子どもたちと関わる仕事がしたいと考えていたんですね。
しかし、この夢は後に変わることになります。
中学生になると、思いがけない形で芸能界入りするチャンスが訪れ、将来の道が大きく変わることになったのです。
まさか、自分が女優として活躍することになるとは、当時の川口さんも想像していなかったでしょうね。
こうして、小学校時代は自然と共に元気いっぱいに過ごしながらも、夢を持って成長していきました。
次のステップとなる中学時代では、川口さんの人生を大きく変える出来事が待っています。
中学校時代の出来事


川口春奈さんは、小学校を卒業すると地元・長崎県五島市の中学校へ進学しました。
中学時代は部活動に励む一方で、芸能界への道が開ける大きな転機を迎えることになります。
当時のエピソードを詳しく見ていきましょう。
地元・五島列島の中学校へ進学


川口春奈さんが入学したのは、地元の公立校である福江市立福江中学校です。
現在は五島市立福江中学校と名称が変わっていますが、当時はまだ旧名のままでしたね。
五島列島という自然豊かな地域にあるこの学校は、のどかな雰囲気が特徴。
地元の子どもたちが通う地域密着型の学校で、生徒数も都会の学校と比べると多くはありません。
そんな環境の中で、川口さんも中学生としての生活をスタートさせました。
島の暮らしは本州とは異なり、学校へ行くにも坂道や海沿いの道を通ることが多かったようです。
都会の学校とは違い、自然に囲まれた通学路を歩きながら、友人と一緒に学校へ向かう日々。
そうした環境が、川口さんの素朴で親しみやすい人柄を育んだのかもしれませんね。
部活動はバドミントン部!でも試合にはあまり出られず
中学ではバドミントン部に所属していました。
もともと運動神経が良く、小学校時代から活発だった川口さんにとって、スポーツは好きなことの一つだったのでしょう。
バドミントン部の練習に励み、仲間と共に汗を流していたようです。
しかし、福江中学校のバドミントン部は当時から強豪校で、競争が激しい環境でした。
さらに、川口さんは後述する芸能活動の影響で、練習に十分に参加することが難しくなります。
その結果、試合にはあまり出場できず、主に控えのメンバーとして活動することが多かったそうですね。
それでも部活動は楽しかったようで、仲間との時間を大切にしていたとのこと。
スポーツを通じて得た経験やチームメイトとの絆は、後の人生にも影響を与えたのではないでしょうか。
友人の応募で「ニコラ」モデルに!芸能界入りのきっかけ
中学1年生の時、大きな転機が訪れます。
親友がファッション雑誌「ニコラ」のモデルオーディションに応募し、その結果、川口さんは見事グランプリを獲得。
これが芸能界入りのきっかけになりました。
本人は最初、軽い気持ちで応募したそうです。
まさか自分が選ばれるとは思っていなかったので、グランプリ受賞の知らせを受けた時は驚いたことでしょうね。
当時の「ニコラ」はティーン向けの人気雑誌で、多くの若手女優やモデルを輩出していました。
同じ時期には、後に女優として活躍する能年玲奈さん(現在ののん)も専属モデルを務めていたんですよね。
こうして、川口さんは中学1年生にして芸能界の第一歩を踏み出します。
しかし、地元の五島列島から東京での仕事に通うのは簡単なことではありませんでした。
ポカリスエットCMでブレイク!東京への転校を決意
芸能活動を始めてからも、最初は地元・五島列島での生活を続けていました。
しかし、中学3年生になると、さらに大きな転機が訪れます。
この年、川口さんは「ポカリスエット」のCMに抜擢され、大きな話題となりました。
ポカリスエットのCMといえば、これまでにも多くの人気女優が出演しており、若手の登竜門的な存在。
そのCMに出演したことで、一気に注目を浴びることになります。
ただ、五島列島から東京へ通いながら仕事を続けるのは簡単ではありませんでした。
仕事のたびに船や飛行機で移動し、博多までフェリーで8時間以上かかることもあったそうですね。
中学生にとって、これだけの長距離移動を頻繁にこなすのは相当な負担だったでしょう。
そこで、ついに東京への転校を決意。
中学3年の9月に、東京都世田谷区の駒留中学校へ転校することになります。
これまで地元で過ごしてきた川口さんにとって、大きな決断だったに違いありません。
こうして、中学時代は地元・五島列島での生活から、東京での新しい生活へと大きく変わることになりました。
次のステップでは、転校後のエピソードや新しい環境での生活について詳しく見ていきましょう。
東京での中学生活と転校


川口春奈さんは、長崎県五島列島の中学校に通っていましたが、芸能活動の本格化に伴い、東京の学校へ転校することになります。
慣れ親しんだ地元を離れ、新たな環境に身を置く決断をした中学3年生の頃。
地元のクラスメイトとの別れや、東京での新生活について詳しく見ていきましょう。
中学3年で東京・世田谷区立駒留中学校へ転校


川口春奈さんは、中学3年生の9月に長崎県の福江中学校から東京都世田谷区立駒留中学校へ転校しました。
転校の理由は、芸能活動が本格化し、東京での仕事が増えてきたため。
地元・五島列島に住みながら東京での仕事を続けるのは難しくなり、新たな環境での生活を決意したのです。
もともと五島列島から東京へ通うには、まず福岡までフェリーで8~9時間かけて移動し、そこから飛行機や新幹線を利用する必要がありました。
そんな長距離移動を何度も繰り返していたため、身体的な負担も大きかったでしょうね。
東京都世田谷区立駒留中学校は、公立の学校ながらも芸能活動をしている生徒も多く在籍していることで知られています。
転校後は、これまでと全く異なる都会の学校生活に慣れる必要がありました。
五島列島ののどかな環境とは違い、東京は人も多く、通学の風景もまるで別世界のようだったかもしれません。
とはいえ、転校したばかりの時期は、新しい環境に馴染むのに時間がかかったはずです。
地元の友人と離れ、親しい人がいない中での学校生活。
仕事と学業の両立という新たな挑戦。
中学3年生という多感な時期に、これだけ大きな変化を経験するのは大変だったでしょうね。
転校時に地元のクラスメイトが特別な卒業式を開催
転校する際、地元・福江中学校のクラスメイトたちは、川口春奈さんのために特別な卒業式を開いてくれました。
このエピソードからも、川口さんが地元の友人たちにとても愛されていたことが分かります。
通常なら卒業式は3月に行われますが、川口さんは中学3年生の9月に転校したため、正式な卒業式には参加できませんでした。
そこで、クラスメイトや先生たちがサプライズで川口さんのためだけの「特別な卒業式」を企画。
みんなで別れを惜しみながら、新しい生活へのエールを送ってくれたそうです。
地元を離れることに対して、不安や寂しさを感じていた川口さんにとって、クラスメイトたちの温かい気持ちは大きな支えになったでしょうね。
離れていても、地元の友人たちとの絆は変わらず続いているのではないでしょうか。
上京後は姉と二人暮らし!新しい生活のスタート
東京へ転校した川口春奈さんは、すぐに一人暮らしを始めたわけではなく、すでに東京に住んでいた10歳年上の姉と一緒に暮らすことになりました。
上京してすぐに親元を離れるのは不安もあったはずですが、お姉さんがそばにいてくれたことで安心できたのではないでしょうか。
それまでの生活とは全く異なる都会での暮らし。
地元・五島列島とは違い、東京は人も多く、通学も電車を使うことが日常になります。
慣れない環境の中で、学校生活と芸能活動を両立させる日々が始まりました。
仕事が忙しくなっていく中でも、中学の勉強をおろそかにしないように努力していたそうです。
ただ、仕事が終わってから勉強をするのはかなり大変だったようで、時には睡眠時間を削ってテスト勉強をすることもあったとか。
ファミレスで先生に勉強を教えてもらったこともあったそうで、それだけ学業にも真剣に向き合っていたんですね。
こうして、川口春奈さんの東京での中学生活がスタート。
新たな環境で奮闘しながらも、女優としてのキャリアを本格的に築いていくことになります。
次の高校時代では、さらに多忙な日々が待っていました。
高校時代と芸能活動


中学時代に芸能界入りし、すでに注目を集めていた川口春奈さん。
高校進学後は、学業と仕事の両立を求められる忙しい日々が始まりました。
多くの芸能人が通う学校で学びながら、女優としてのキャリアをさらに積み重ねていくことになります。
5-1. 堀越高校トレイトコースに進学!芸能活動と学業の両立


川口春奈さんは、高校進学にあたり、東京都にある堀越高校のトレイトコースを選びました。
堀越高校は、芸能活動と学業の両立を目的としたカリキュラムを持つことで知られる学校。
多くの俳優やアイドル、スポーツ選手が通うことで有名ですね。
トレイトコースは、特に芸能活動が忙しい生徒のために設けられたコース。
一般的な高校と比べて授業時間が調整しやすく、仕事の合間を縫って学業に励むことができます。
川口さんも、高校生活を送りながら、女優としての活動を本格化させていきました。
この頃にはすでにドラマや映画、CMなどでの出演が増えており、学校と仕事を両立させるのは簡単なことではなかったはずです。
それでも、「しっかり単位を取らないと卒業できない」という意識を持ち、限られた時間の中で勉強にも励んでいたそうですね。
また、堀越高校には芸能界で活躍する多くの同級生が在籍していました。
俳優の須賀健太さん、女優の清水富美加さん(現・千眼美子さん)、モデルの岡本杏理さんらが同じクラスだったそうです。
さらに、俳優の北村一輝さんの息子である北村将清さんも同級生でした。
同じ夢を追う仲間に囲まれながら、刺激的な高校生活を送っていたのでしょうね。
忙しすぎて学校行事にはほとんど参加できず
高校時代は、学業と並行して芸能活動がますます忙しくなり、学校行事への参加はほとんどできなかったそうです。
堀越高校では体育祭や文化祭といったイベントも行われますが、川口さんは仕事のスケジュールが詰まっていたため、なかなか参加する時間がなかったようですね。
学校生活の思い出としては、仲の良い友人と過ごした時間が大きな部分を占めていたのではないでしょうか。
ただ、仕事が多忙な分、クラスメイトと過ごす時間はとても貴重だったでしょうね。
また、学業面では「単位を取らないと卒業できない」というプレッシャーもありました。
限られた時間の中で課題やテスト勉強をこなさなければならず、かなり苦労したそうです。
インタビューでも、「勉強は本当に大変だった」と振り返っています。
それでも、最終的にはしっかり卒業。
ブログでは「奇跡の卒業」と表現しており、ギリギリだったことを明かしています。
仕事との両立を考えると、それほど大変な高校生活だったのでしょうね。
高校時代に主演ドラマが続々決定!人気女優への道
高校時代の川口春奈さんは、すでに若手女優としての地位を確立しつつありました。
特に、高校1年生の時に主演を務めたBSドラマ『初恋クロニクル』が大きな話題となりましたね。
この作品での演技が評価され、さらに多くの作品への出演が決まるようになりました。
高校2年生になると、TBSのドラマ『桜蘭高校ホスト部』で連続ドラマ初主演。
この作品は、人気漫画を原作とした学園ラブコメディで、川口さんはヒロイン・藤岡ハルヒ役を演じました。
ファンからの支持も厚く、このドラマをきっかけに川口さんの知名度は一気に上がりましたね。
さらに、高校2年生の時には『全国高校サッカー選手権大会』の7代目応援マネージャーにも就任。
この役は、過去に堀北真希さん、新垣結衣さん、北乃きいさんなど、後に大ブレイクする女優たちが務めてきたもの。
川口さんもその流れを引き継ぎ、フレッシュな笑顔で大会を盛り上げました。
高校3年生になると、映画『POV~呪われたフィルム』で初主演。
ホラー映画というジャンルにも挑戦し、女優としての幅を広げていきました。
こうして、高校時代にはドラマ、映画、CMなど数々の作品に出演し、着実にキャリアを築いていった川口さん。
多忙な日々の中でも努力を惜しまず、芸能界での存在感を強めていきました。
次のステップでは、大学には進学せず、さらに女優業に専念する道を選ぶことになります。
大学進学はせずに女優業へ専念


高校卒業後、川口春奈さんは大学へ進学することなく、女優業に専念する道を選びました。
若手女優としてすでに数々の作品に出演し、順調にキャリアを積み重ねていた彼女ですが、進学についても真剣に考えていたようです。
しかし、多忙な仕事との両立は難しく、最終的には芸能活動に集中する決断を下しました。
玉川大学への進学を検討していた?
高校卒業後の進路について、川口春奈さんは一時期、玉川大学への進学を検討していたことを明かしています。
玉川大学は東京都町田市にある私立大学で、幼児教育や芸術分野に強い学部を持つことで知られていますね。
彼女はもともと子どもが好きで、小学生の頃には「保育士になりたい」と話していたこともあったため、この大学に興味を持ったのかもしれません。
2017年に玉川学園のトークショーに出演した際、実は玉川大学への進学を真剣に考えていたことをインスタグラムで告白。
進学しなかったものの、何か縁を感じる大学だったのでしょうね。
仕事の忙しさを考え、大学進学を断念
高校在学中から主演作が増え、多くのドラマや映画、CMに出演していた川口春奈さん。
仕事のスケジュールはどんどん詰まっていき、大学へ通う時間を確保することが難しくなっていきました。
特に高校卒業後の時期は、女優としての転機を迎え、多くのオファーが舞い込んでいた時期でもあります。
大学進学を考えながらも、「今は仕事に集中すべき時期だ」と判断し、芸能活動に専念する道を選びました。
学業と仕事の両立が難しいという現実もあったでしょうが、それ以上に、女優として成長したいという気持ちが強かったのではないでしょうか。
高校時代も多忙なスケジュールの中で必死に単位を取得し、卒業を果たしましたが、大学ではさらに高度な学問が求められます。
そのため、しっかりと勉強に取り組む時間を確保できないまま進学するのは現実的ではなかったのでしょうね。
その後の活躍と大河ドラマ出演へ
大学進学を選ばず、女優業に専念することを決めた川口春奈さん。
その選択は間違っていなかったと言えるほど、高校卒業後も順調に活躍の場を広げていきました。
2013年には、TBS系のドラマ『夫のカノジョ』で主演を務めました。
しかし、この作品は視聴率が振るわず、女優として試練の時期を迎えることに。
この経験をバネにし、さらに演技に磨きをかけていきます。
その後も数々の話題作に出演し、映画やドラマでの存在感を発揮。
そして、2020年にはNHK大河ドラマ『麒麟がくる』に出演し、女優としての評価をさらに高めました。
もともとは沢尻エリカさんが演じる予定だった帰蝶(濃姫)役でしたが、急遽代役として抜擢され、見事にその大役を務め上げましたね。
この出演をきっかけに、川口春奈さんの演技力が再評価され、さらなる飛躍を遂げることになります。
高校卒業後に大学ではなく女優業を選んだ彼女の決断は、結果として大成功につながったのではないでしょうか。
こうして、学業ではなく芸能界での道を選び、一歩一歩確実にキャリアを築いてきた川口春奈さん。
これからも彼女の活躍から目が離せませんね。
まとめ
- 長崎県五島列島で生まれ育ち、幼少期から自然の中でのびのびと成長
- 中学時代に芸能界入りし、高校では仕事と学業を両立しながら活躍の幅を広げる
- 大学進学はせず、女優業に専念する道を選び、大河ドラマ出演でさらに飛躍
川口春奈さんの歩んできた道は、自然豊かな五島列島でのびのびと育った幼少期から始まりました。
小学生の頃は釣りや木登りを楽しみ、活発な女の子として過ごしていましたね。
そして、中学時代に友人の勧めで応募した「ニコラ」のオーディションが、人生の大きな転機となりました。
東京への転校後は、芸能活動が本格化。
高校時代は堀越高校のトレイトコースに通いながら、主演ドラマが次々と決まり、多忙な日々を送っていました。
大学進学も考えたものの、仕事との両立が難しく、最終的に女優業に専念することを決意。
その後の活躍は目覚ましく、大河ドラマ『麒麟がくる』では代役ながらも堂々と演じきり、実力派女優としての評価を確立しました。
自然に囲まれた幼少期から華やかな芸能界へ――その軌跡を振り返ると、彼女の努力と才能の積み重ねが見えてきますね。