
秋元真夏さんはどんな学歴があるんだろう?
乃木坂46の元キャプテンとして知られる秋元真夏さん。
温かい人柄や努力家な姿勢が魅力的ですが、彼女の学歴について気になる方も多いのではないでしょうか?
特に「大学は卒業したのか?」「なぜ高校時代に芸能活動を休止していたのか?」といった疑問を持つ方も多いでしょう。
この記事では、秋元真夏さんの学歴を小学校から大学まで詳しく振り返ります。
幼少期の性格や学生時代のエピソード、生徒会長としての活躍、乃木坂46オーディション合格と高校時代の苦悩、そして大学進学後のアイドル活動との両立までを徹底解説。
さらに、大学を卒業したのか、それとも中退したのか、その真相についても検証します。
この記事を読めば、秋元真夏さんの学生時代の努力や歩んできた道のりがよくわかります。
彼女の魅力をより深く知りたい方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
秋元真夏のプロフィール
- 名前:秋元真夏(あきもと まなつ)
- 生年月日:1993年8月20日
- 出身地:埼玉県さいたま市
- 身長:156cm
- 血液型:B型
- 愛称:「まなったん」「釣り師」
秋元真夏さんは、1993年8月20日生まれで、埼玉県さいたま市の出身。
乃木坂46の元メンバーとして知られ、グループの2代目キャプテンも務めました。
その温かく親しみやすいキャラクターと高い対応力で、ファンやメンバーからの信頼が厚かった人物ですね。
身長は156cm、血液型はB型。 小柄ながらも表情豊かで、バラエティ番組でも活躍する場面が多かったのが印象的です。
愛称は「まなったん」で、ファンとのコミュニケーションの上手さから「釣り師」とも呼ばれていました。 乃木坂46の活動を通じて、アイドルとしてだけでなく、バラエティタレントや女優としてもキャリアを広げた方ですね。
学生時代から責任感が強く、高校では生徒会長を務めた経験も。
また、料理が得意で、メンバーや番組でその腕前を披露することもありました。
食べることにもこだわりがあり、料理番組ではレシピの知識を披露する場面もあります。
乃木坂46に加入後も、メンバーの相談役として慕われ、グループ内でのリーダーシップを発揮していました。
一方で、アイドルとしての道は決して平坦ではなく、高校の校則によりデビューが一時保留されたというエピソードもあります。
それでも大学進学後にグループへ本格的に復帰し、選抜メンバー入りを果たすなど、努力家な一面も見せていますね。
卒業後はタレント活動を中心にしつつ、女優としての経験も積み、マルチな才能を発揮し続けています。
乃木坂46の歴史を語るうえで欠かせない存在と言えるでしょうね。
小学校時代:さいたま市で育った幼少期


秋元真夏さんは、幼い頃から明るく好奇心旺盛な性格で、学校でも活発な児童だったようです。
家族仲がとても良く、幼少期の環境がその後の人懐っこいキャラクターにもつながっているのでしょうね。
また、幼い頃から芸能界に憧れを抱いていたそうですが、意外にも人見知りな一面もあったのだとか。
そんな秋元さんの小学生時代を詳しく見ていきましょう。
さいたま市立大久保東小学校に通学


秋元さんは、さいたま市立大久保東小学校に通っていました。
この小学校は、埼玉県さいたま市桜区に位置する公立校です。
小学校時代は、のびのびと過ごしていたようで、友達も多く、学校生活を楽しんでいたそうです。
また、秋元さんは幼少期に東京都内の病院で生まれましたが、生後7か月の頃に家族とともに埼玉県さいたま市へ引っ越しました。
ちなみに「真夏」という名前は、お父さんが名付けたそうです。
8月生まれということもありますが、夏のように明るく元気に育ってほしいという願いも込められていたのかもしれませんね。



真夏という名前、秋元さんに本当にぴったりですよね!
幼少期の性格や家庭環境
秋元真夏さんは、小さい頃からとても家族想いな性格だったそうです。
家族構成は、両親と弟の4人家族。
家族仲が非常に良く、お母さんと一緒に過ごす時間が多かったようですね。
また、家庭ではお母さんの料理を手伝うことが好きで、キッチンに立つ機会も多かったそうです。
幼少期の頃から食べることにも関心が高く、好き嫌いなく何でも食べられる子だったとか。
この頃の経験が、後に料理好きになるきっかけの一つになったのかもしれませんね。



続いてクラブ活動についても見て行ってみましょう
バトンクラブや家庭科への興味
秋元真夏さんは、小学校時代にさまざまなことに興味を持ち、積極的に挑戦していました。
その中でも特に熱心に取り組んだのが、バトンクラブと家庭科の活動でした。
当初はバトンクラブに所属し、練習に励んでいたそうですが、小学5年生の時に家庭科部へ転部。
料理や裁縫を学ぶことが楽しかったため、活動の幅を広げることを選んだようですね。
しかし、小学6年生になると再びバトンクラブに戻り、発表会などにも参加。
一つのことに専念するよりも、興味のあることを幅広く経験したいという好奇心が強かったのかもしれませんね。
また、家庭ではヴァイオリンを習っていた時期もあり、音楽にも関心を持っていたそうです。
一方で、運動はあまり得意ではなく、体育の成績には苦労することも多かったとか。
それでも、スキーだけは上手に滑ることができ、冬の授業は楽しみにしていたそうです。
さらに、小学校時代の大切な思い出として、お気に入りのブタのぬいぐるみがあったそうです。
幼少期からずっと大切にしており、大人になった今でも手元に置いているとのこと。
こうした話からも、秋元さんの純粋で優しい性格が伝わってきますね。



興味のあるクラブが二つあると、どうしても転部するしかないですよね
中学校時代:私立校でのびのび過ごした3年間


秋元真夏さんは、小学校を卒業した後、東京都板橋区にある東京家政大学附属女子中学校に進学しました。
この学校は、東京家政大学附属女子高校と一貫教育を行っており、秋元さんも高校へは内部進学しています。
中学校時代は、勉強に部活動にと充実した日々を送りながらも、料理への興味を深めるきっかけとなる出来事もあったようです。
そんな秋元さんの中学時代を詳しく見ていきましょう。
東京家政大学附属女子中学校へ進学


秋元さんが進学した東京家政大学附属女子中学校は、偏差値51の私立女子校。
高校への内部進学が可能なため、落ち着いた環境の中で学べる学校として知られていますね。
秋元さんは、小学校高学年の頃から塾に通い、中学受験をしてこの学校に合格しています。
この学校は、家庭科の授業が充実していることでも有名。
そのため、秋元さんの料理好きが本格的に芽生えたのも、この中学時代の影響が大きかったのかもしれませんね。
また、私立ならではの校則の厳しさもありましたが、落ち着いた雰囲気の中で学業に励むことができたようです。
ちなみに、乃木坂46の元メンバー・西川七海さんも同校の同級生でした。
偶然にも、二人は同じ調理部に所属していたことがあり、料理を通じた交流もあったようですね。



西川さんとは中学時代から交流があったのですね!その交流が今も繋がっているとは本当に素敵な話です
生徒会活動や部活での活躍
中学校時代の秋元真夏さんは、学業だけでなく課外活動にも積極的に取り組んでいました。
中学1年生から生徒会活動に参加し、最終的には生徒会副会長を務めるほどのリーダーシップを発揮していたそうです。
部活動では調理部に所属し、料理の腕を磨く機会が増えました。
こうした経験を通じて、「自分で作ったものを誰かに食べてもらう楽しさ」を感じたのかもしれませんね。
また、この頃はキャビンアテンダントに憧れていた時期もあったとか。
しかし、後に乃木坂46のオーディションを受けることで、その後の進路が大きく変わることになります。
当時の秋元さんはどちらかといえば控えめな性格で、派手なグループには属していなかったとのこと。
しかし、周囲からの信頼は厚く、生徒会副会長としての責任をしっかり果たしていたようですね。



秋元さんのキャビンアテンダント姿!是非見たかったです!
料理の腕を磨き家庭料理技能検定を取得
秋元真夏さんの料理好きは、中学時代にさらに磨かれていきました。
調理部に所属し、文化祭ではパン作りに挑戦。
クラスメイトや先生からの評判もとても良かったそうです。
良い思い出ですね!
また、料理の腕をさらに向上させるために、家庭料理技能検定3級を取得。
この資格は、調理技術や栄養の知識が求められるため、中学生で合格するのは決して簡単なことではありません。
普段から料理への関心が高く、積極的に学ぶ姿勢があったからこそ取得できたのでしょうね。
乃木坂46に加入してからも、秋元さんの料理の腕前はたびたび話題になり、バラエティ番組などで披露する機会も増えていきました。
この中学時代の経験が、彼女の料理の基礎をしっかりと築くものになったことは間違いなさそうです。



資格取得をするほど本当に料理が好きなんですね!是非食べてみたいです!
高校時代:生徒会長として活躍しながら乃木坂46オーディションへ
秋元真夏さんは、中学校卒業後、東京家政大学附属女子高校へ内部進学しました。
この高校は1881年に創立された伝統校で、中高一貫の女子校です。
秋元さんは、ここで生徒会長を務めるなど、責任感の強さを発揮しながら充実した高校生活を送っていました。
しかし、高校3年生の時に受けた乃木坂46のオーディションが、彼女の人生を大きく変えていくことになります。
東京家政大学附属女子高校での学生生活
高校時代の秋元さんは、勉強と課外活動の両方に積極的に取り組んでいました。
高校2年生の時には、生徒会長に就任。
立候補者が他にいなかったこともあり、周囲の期待を受けての就任だったようです。
もともと中学時代から生徒会活動をしていたため、責任感の強さは周囲からも信頼されていたのでしょうね。
また、部活動では調理部に所属し、部長として活動。
もともと料理が得意だった秋元さんですが、高校でもその腕前をさらに磨いていきました。
生徒会と部活動の両立は大変だったでしょうが、持ち前の努力家な性格でしっかりこなしていたのだと思います。
学業面では、文系クラスに所属し、家庭科と国語が得意科目だったそうです。
一方で、数学と理科は苦手だったとか。
それでもしっかり勉強に取り組み、高校3年生の時には、大学進学も視野に入れていたそうです。



中学で副会長、高校で会長を経験!行動力がすごいですね
乃木坂46オーディションに合格も活動休止に
高校3年生の時、秋元さんは乃木坂46の1期生オーディションを受験しました。
もともとアイドル志望というわけではなく、友人に勧められて「試しに送ってみようかな」という軽い気持ちで応募したそうです。
しかし、一次審査を通過すると、そこからは真剣に取り組むようになり、最終的に見事合格。
2011年8月、乃木坂46の1期生メンバーとして選ばれました。
しかし、合格したものの、ここで問題が発生します。
彼女が通っていた高校は、芸能活動を原則禁止としていたため、学校側の許可が下りませんでした。
最終的に秋元さんはデビュー前に活動休止を決断。
本来であれば、2011年9月に行われた「乃木坂46お見立て会」に参加する予定でしたが、それも叶いませんでした。
この時、同じ高校に通っていた西川七海さん(乃木坂46の元メンバー)は転校して活動を続ける道を選びましたが、秋元さんは転校をせず、卒業まで高校に残る決断をしました。



芸能界に入れるチャンスがあったらすぐ挑戦したいと考えそうですが、本当に学校生活が大切だったのでしょうね
校則の影響で高校卒業まで芸能活動ができなかった背景
前述にあるように秋元さんが通っていた東京家政大学附属女子高校は、芸能活動に対して厳しい校則を設けていました。
さらに、父親も当初は芸能界入りに反対していたため、秋元さんは高校在学中に活動することを断念せざるを得なかったのです。
この高校は、携帯電話の持ち込み禁止やSNSの利用制限など、私立校の中でも特に規律が厳しい学校として知られています。
そうした環境の中で、高校3年間は学業に専念し、乃木坂46の活動には一切参加できませんでした。
しかし、秋元さん自身は乃木坂46への思いを捨てたわけではなく、テレビ番組「乃木坂って、どこ?」の録画を欠かさずチェックしていたそうです。
メンバーの活躍を見守りながら、自分がグループに復帰したときのために心の準備をしていたのでしょうね。
高校卒業後、ようやく父親の許可を得て、乃木坂46の活動を再開することができました。
2012年10月に正式復帰しましたが、それまでのブランクがあったため、グループ内での立場は決して楽なものではなかったことでしょう。
それでも持ち前の努力と明るい性格で、少しずつ周囲との信頼関係を築いていったのだと思います。



活動が出来なかったことは辛かったと思いますが、復帰できて本当に良かったです
大学時代:フェリス女学院大学へ進学と乃木坂46復帰


高校を卒業した秋元真夏さんは、神奈川県横浜市にあるフェリス女学院大学に進学しました。
伝統ある女子大学で、「お嬢様学校」としても知られています。
乃木坂46の活動を休止していた秋元さんにとって、この大学進学が再びアイドルとしての道を歩み始める大きな転機となったようです。
文学部英米文学科で学んだ日々


秋元さんが進学したのは、フェリス女学院大学文学部英米文学科。
偏差値は43とされています。 この学科では英語や英文学を専門的に学ぶことができ、留学制度も整っているのが特徴的です。
高校時代は芸能活動が禁止されていたこともあり、大学では学業とともに新たな環境での生活を楽しみにしていたのかもしれません。
しかし、入学早々に乃木坂46への復帰が決まり、普通の大学生活とは少し違った道を歩むことになりました。
なお、大学入学当初の秋元さんは、乃木坂46の活動が再開できることに対して非常に前向きでした。
高校時代はグループの成長をテレビ越しに見守るだけの期間が続いていましたが、ようやく自分もその場に立てるという期待があったのでしょうね。
乃木坂46活動再開とグループ内の波紋
大学に進学した2012年4月、秋元さんは乃木坂46のレッスンに本格的に復帰しました。
しかし、約1年間のブランクがあったこともあり、すでにグループの中では確立された序列ができあがっていました。
そんな中、彼女は復帰早々に4thシングル「制服のマネキン」の選抜メンバーに抜擢され、しかも「八福神」としてフロントメンバーの一員に。
この決定に対して、当時の選抜メンバーやファンの間では驚きの声が上がりました。
なかでも、西野七瀬さんは、それまで八福神の一員として活動していたにもかかわらず、秋元さんの復帰によって立ち位置が後列に下がることになりました。
これに対し、「大阪に帰ります」と言い放つほどショックを受けたといいます。
ほかにも、選抜から外れることになったメンバーが涙を流す場面もあり、秋元さん自身も復帰の難しさを実感することになりました。
それでも、彼女は持ち前の明るさと努力で少しずつグループに馴染んでいきます。
ダンスが得意ではなかったため、振り付けを覚えるのに苦労したそうですが、高山一実さんや伊藤万理華さんがサポートしてくれたそうですね。
また、西野さんとの関係も、時間をかけて徐々に修復されていきました。
そのきっかけとなったのが、2013年の横浜アリーナでのライブ。
ここで西野さんが「真夏、おかえり。一緒に頑張ろう」と声をかけたことで、ようやくわだかまりが解けたのです。
こうして、秋元さんは乃木坂46の一員として正式に活動を再開。 しかし、学業との両立は簡単なものではなかったようです。



仕方ないことだとはいえ、中高の友人が自分の復帰のために下げられるのは辛かったでしょうね
秋元真夏は大学を卒業したのか?中退の可能性を検証


フェリス女学院大学に進学した秋元真夏さん。
一般的には2017年3月に卒業予定でしたが、その後大学卒業の発表がありません。
秋元さんが大学を卒業したのか、それとも中退したのか、その真相を詳しく見ていきます。
本来の卒業予定とその後の状況
秋元さんは、2012年4月にフェリス女学院大学文学部英米文学科に入学しました。
順調に進学していれば、4年後の2017年3月に卒業するはずでしたね。
しかし、2017年の春になっても、大学卒業に関する報告はありませんでした。
これは、一般的なアイドルの卒業報告とは異なります。
たとえば、同じ乃木坂46のメンバーである生田絵梨花さんは、日本大学芸術学部を卒業した際に正式な発表を行っています。
それに対し、秋元さんの大学卒業に関する情報がないことから、「もしかして中退したのでは?」という声が上がるようになったのでしょうね。
また、フェリス女学院大学は出席日数や授業の厳しさで知られており、芸能活動と両立しながら卒業するのは容易ではない環境だそうです。
実際に、女優の桐谷美玲さんも7年かけて卒業しており、通常の4年間で卒業するのが難しいことがうかがえます。
秋元さんも、乃木坂46の活動が忙しくなったことで、単位取得が難しくなってしまった可能性が高いですね。



芸能活動が忙しくなり卒業出来なかったという話は良く聞きますね。売れた証明にもなりますが卒業したかったでしょうね
公式ブログの発言から読み解く進路
秋元さんが大学を卒業したかどうかについて、最も注目されたのが2019年8月の公式ブログの投稿でした。 その中で彼女は、
「昔、生徒会長・部長・文化祭実行委員長…〇〇長みたいなものを今までたくさんやったことがあったけど、今回でまたひとつプラスされました☆ まさか学生を終えてから増えると思ってなかったなぁ。笑」
と綴っています。
この「まさか学生を終えてから」という言葉が、多くのファンの間で話題になりました。
「学生を終えて」という表現を素直に捉えれば、すでに大学を卒業、もしくは中退していると解釈できますね。
また、秋元さんはその後のテレビ出演や雑誌のインタビューでも、大学時代のエピソードについてほとんど触れていません。
これも、大学にあまり通えていなかった、もしくは中退してしまった可能性を示唆しているのかもしれません。
一方で、本人が公式に「大学を中退しました」と発表したことはありません。
そのため、ファンの間では「卒業できなかったのでは?」「単位不足で留年したのでは?」といったさまざまな憶測が飛び交っています。
まとめ
- 幼少期から明るく好奇心旺盛で、学生時代も積極的に活動していた
- 高校では生徒会長を務めながら乃木坂46のオーディションに合格
- 大学進学後にグループへ復帰し、中心メンバーとして活躍
秋元真夏さんの学歴を振り返ると、幼少期から多くの経験を積みながら、自分の道を切り開いてきたことがわかりますね。
小学生の頃は家庭科やバトンクラブに興味を持ち、中学では生徒会や調理部での活動に熱中。
高校では生徒会長として責任を果たしながらも、乃木坂46のオーディションに挑戦しました。
しかし、校則の影響で一時活動を休止し、卒業後にようやく本格復帰。
大学では学業との両立を目指したものの、グループでの役割が大きくなり、卒業については明言されていません。
それでも、努力を続けた結果、乃木坂46の中心メンバーとして長く愛される存在になったのが印象的ですね。
これからも秋元真夏さんを応援していきたいと思います。