松田里奈の経歴がすごい!銀行員から櫻坂46へ

松井里奈

アイドルになる人って、もともと何をしていたと思いますか? 

実は、松田里奈さんは、地元の銀行で働いていた元・銀行員なんです。 

普通のOLとして働いていた彼女が、なぜ芸能界という全く別の世界へ飛び込んだのか。 

その理由やきっかけを知ると、「こんな人生の選び方もあるんだ」と勇気がもらえるはずです。 

この記事では、松田里奈さんの幼少期から高校時代、そしてアイドルになるまでのリアルな姿をたっぷりご紹介します。 

読んだあとには、テレビで見る彼女の印象がきっと変わるはずですよ。

目次

銀行員からアイドルへ:異色のキャリア転身ストーリー

松田里奈が笑顔で正面を向いている
  • 名前:松田 里奈(まつだ りな)
  • 生年月日:1999年10月13日
  • 年齢:25歳(2025年現在)
  • 出身地:宮崎県延岡市
  • 身長:159cm
  • 血液型:O型
  • 所属グループ:櫻坂46(元欅坂46の2期生)
  • 加入時期:2018年(欅坂46・2期生として加入)

高校卒業後、地元・宮崎で銀行員として働いていた松田里奈さん。
一見、堅実で安定した道を選んだように見えますが、彼女の胸の奥にはずっとくすぶる“夢”があったんです。

誰もが驚くようなタイミングで、その夢に向かって大きな一歩を踏み出した彼女。
銀行の制服から、アイドル衣装へ――。
そんなギャップこそが、松田さんの持つ最大の魅力かもしれませんね。

宮崎で育った幼少期と学生時代の素顔

ソフトボールをする中学生

静かな町・宮崎県延岡市で生まれ育った松田里奈さん。
今でこそ都会的な雰囲気もありますが、実はかなり素朴な環境で育ってきたんです。

幼少期から中学時代まで、地元の友達と過ごした日々には、彼女の“芯の強さ”と“明るさ”の原点が詰まっていました。
あたりまえの毎日が、今の松田さんをつくった――そんな気がしてなりません。

家族構成と兄弟との関係、地元・岡富小中学校での青春

松田里奈さんは、宮崎県延岡市で生まれた3人きょうだいの真ん中です。

家族は両親、姉、弟の5人。
子どもの頃は弟さんとケンカばかりだったそうですが、大人になるにつれて、関係も落ち着いてきたんだとか。
真ん中っ子ならではの“バランス感覚”が、今のバラエティ対応力につながっているのかもしれませんね。

通っていた小学校は、延岡市立岡富小学校。
そして中学校は、そのまま進学する形で延岡市立岡富中学校に通っていました。

とても地元密着型な人生のスタートで、制服姿も自然体な雰囲気が漂っていてかわいらしいんですよね。
ちなみに、中学時代にはソフトボール部に所属。ポジションはピッチャーでした。

もともとはソフトテニス部に入ろうと思っていたそうですが、たまたまソフトボール部でキャッチボールを体験してみたところ、
「なんか、これ楽しいかも」
と感じて、そのまま入部したそうです。

結果的には3年間、補欠のままでレギュラーにはなれなかったものの、三塁コーチャーとしてチームを支え続けました。

それに加えて、生徒会の副会長も務めていたというから驚きですよね。
学校内でも真面目でしっかり者として知られていたようです。

スポーツもして、生徒会もやって、友達との時間も大切にして。
そんな“全部ちゃんとやる”姿勢が、今の努力家な松田さんにつながっているんでしょうね。

笑顔の裏にある、芯の強さ――。
それは、あの宮崎の中学校で育まれていたのかもしれません。

延岡工業高校での青春:女子が少ない環境でモテモテ!?

文化祭でダンスを踊る女子高生たち

松田里奈さんが通っていたのは、宮崎県立延岡工業高校。
1944年創立の伝統ある共学校で、工業系の学科が多く、全体的に男子生徒の割合が高めの学校です。

そんな環境で過ごした3年間。
松田さんは、“ちょっと目立つ存在”だったようです。

女子生徒が少ない分、ひとりひとりが自然と注目されやすい状況。
ましてや松田さんのように、明るくてかわいくて、話しやすい性格だったら…そりゃあモテますよね。

本人も「高校時代はけっこうモテました」と、インタビューでちょっと照れたように話しています。
なんだか想像できますよね、そんな学生生活。

フードデザイン専攻とダンス部での活動

松田さんが在籍していたのは、延岡工業高校の「生活文化科」。

偏差値は45と、比較的入りやすい学科ではありますが、実は専門性がかなり高く、
フード・ファッション・リビングの3つの分野を学べるユニークな学科なんです。

その中で、松田さんはフードデザインを専攻。
お菓子を作ったり、料理の盛り付けにこだわったりと、かなり実践的な授業があったようです。
今でも料理の腕前はなかなかのものらしく、グループの中でも家庭的な一面を見せることがあるんですよね。

また、学校生活の中で彼女が力を入れていたのが「ダンス部」。

元々運動神経がよくて、小さい頃からスポーツに親しんでいた松田さんにとって、
ダンスはただ踊るだけじゃなく、自分を表現する大切な場だったようです。

部活の仲間と過ごした日々、振り付けを何度も練習した放課後、
文化祭やイベントでステージに立ったときの高揚感――
そんな経験のひとつひとつが、後のアイドル活動にもつながっていったのでしょうね。

ちなみに、当時はまだ「欅坂46(現・櫻坂46)」の熱狂的ファンだったわけではなく、
「なんとなく憧れてた」くらいだったそうです。

だけど、“心のどこか”で、ステージに立つことへの夢があった。
それが、ダンス部での経験を通して、少しずつ形になっていったのかもしれません。

静かな町の工業高校で、自分の感性と向き合いながら過ごした3年間。
その時間は、松田里奈さんにとって「夢の種」を育てる、大事な時期だったのでしょうね。

オーディション合格の裏側:姉のひと言が運命を変えた

働く女性銀行員

高校を卒業し、地元で働きながら日々を過ごしていた松田里奈さん。
そんな“ふつう”の毎日を、たったひと言で変えてしまったのが――姉の何気ない声かけでした。

「オーディション、受けてみたら?」

きっかけなんて、案外あっけないものなんですよね。
でもその言葉が、彼女の眠っていた夢に、静かに火をつけたのです。

アイドルに憧れながらも現実と向き合った高校卒業後の葛藤

高校を卒業した松田さんは、大学には進学せず、宮崎県内の銀行に就職しました。

本当は音楽系の専門学校に進みたかったそうですが、「父に反対されたから」と彼女は語っています。
家族想いな性格がよく表れていますよね。

窓口業務を担当しながら、社会人として毎日を一生懸命に過ごしていた松田さん。
先輩も優しく、職場の雰囲気も良かったことから、「辞めたい」と思ったことはなかったといいます。

だけど、心の奥には、消えきれない“夢”があった――
それが、「アイドルになりたい」という想い。

そんなタイミングで、お姉さんからかけられた「オーディションを受けてみたら?」という一言。

最初はもちろん迷ったそうです。
「安定してるし、辞める理由もない」
「でも、夢をあきらめたままでいいのかな……」

現実と夢の狭間で揺れ動いた末に、松田さんは応募を決意します。

「最初は受かると思ってなかったし、本気じゃなかった」と振り返る松田さんですが、
オーディションが進むうちに、少しずつ気持ちが変わっていったんだそうです。

そして、まさかの合格。
彼女は、けやき坂46(現在の櫻坂46)の2期生として選ばれることになります。

その瞬間から、すべてが変わりました。

半年勤めた銀行を退職すると決めたとき、松田さんは強い葛藤を抱えていたといいます。
「辞めたくなかった」「迷惑もかけたくなかった」

けれど、それでも夢を選んだ。

その決断には、「やるからには、絶対に後悔しないように頑張ろう」という強い覚悟がありました。

現実をちゃんと見つめた上で、それでも夢をあきらめなかった松田さん。
その姿は、今も多くのファンに勇気を与えてくれています。

誰かの言葉に背中を押されて、それでも最後は自分で決断する。
松田里奈さんのこのエピソード、まさに人生の分岐点だったのでしょうね。

松田里奈が目指す“バラドル”像とこれからの挑戦

櫻坂46としての活動を軸にしながらも、松田里奈さんは“アイドル以上”の存在を目指しています。
彼女が語る将来像は、「かわいいだけじゃなく、バラエティでも輝ける人」。

つまり、目指すは“バラドル”――体を張って笑いを取り、場の空気を動かせる存在です。
その姿勢からは、単なる夢追い人ではなく、本気で自分の役割と向き合っている覚悟が感じられるんですよね。

「欅坂には、顔が整っててかわいい子が多いんです。だから、私は“そこ”では勝てないと思ってます」

松田さんは、そんな言葉を口にしたことがあります。

でも、それってすごく素直でリアルな気持ち。
だからこそ彼女は、トークやリアクション、瞬発力など“別の武器”で自分らしさを打ち出そうとしているんです。

「バラエティ番組でバンジージャンプを飛んだり、虫を食べたりするのも全然アリです」
そう笑いながら話す松田さんの目には、しっかりと“本気”の色がにじんでいました。

実際に、冠番組やバラエティでは、彼女の明るさやユーモアが光る場面が多く、
MCや共演者からの信頼も厚くなってきています。

もともと銀行勤務の経験があるということもあって、言葉の選び方や空気の読み方が丁寧。
その“社会人経験”も、芸能の現場では大きな強みになっているようです。

加えて、トーク力だけでなく、どこか“素朴さ”を残した笑顔や、あったかい人柄も魅力。
視聴者からも「親しみやすい」「応援したくなる」といった声が多いのも納得ですよね。

でももちろん、バラドルとしての道は簡単じゃありません。

場数を踏み、経験を重ね、時には恥をかきながらも「この子はすごい」と思わせる力を身につける必要があります。

だけど松田里奈さんなら、きっとやり切るでしょう。
ソフトボール部で3年間補欠でも腐らなかった根性、銀行を辞めて夢を選んだ勇気――
そういう“ぶれない自分”を持っている人だから。

これから、どんな場で、どんな爪痕を残していくのか。
松田里奈さんの挑戦は、まだまだ続いていきます。

まとめ

  • 銀行員という安定を手放し、夢に飛び込んだ覚悟が胸を打つ
  • 宮崎で育まれた人柄と努力が、今の松田さんを支えている
  • バラエティでも輝く“バラドル”としての成長に期待が高まる

松田里奈さんの歩んできた道は、決して派手じゃないけれど、どこか温かくてリアルなんですよね。

地元・宮崎で育ち、まじめに学校に通い、銀行で働き、そして迷いながらも夢を選んだ。

そのひとつひとつの選択に、「ちゃんと考えて、自分で決めた」っていう強さがにじんでいます。

アイドルでありながら、社会人経験を持ち、地に足のついたトークでバラエティでも活躍。

松田さんの未来は、まだまだこれから――きっと、もっと面白くなるでしょうね。

どんな笑顔で、どんな一言で、次の“爪痕”を残してくれるのか。

楽しみに見守っていきたいと思います。

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