
「増田紗織さんって、なんだかよく見るけど、どんな人なんだろう?」
そんなふうに気になったことはありませんか?
実は彼女、テレビ業界に入ってからわずか数ヶ月で冠番組を持ち、今や“次世代の顔”とも言われる存在なんです。
でもそれは、ただの偶然ではなく、学生時代から積み重ねてきた努力や個性の賜物なんですよね。
この記事では、増田紗織さんのアナウンサーとしてのキャリアはもちろん、慶應大学での意外な素顔、そしてNYでの帰国子女時代のエピソードまでを丁寧にご紹介します。
読み終える頃には、きっと彼女のことを“ちょっと好きになる”かもしれません。
テレビ局入社後のキャリアと現在の活動
- 名前:増田 紗織(ますだ さおり)
- 愛称:サリー
- 生年月日:1997年1月7日
- 年齢:28歳(2025年現在)
- 出身地:兵庫県
- 血液型:O型
- 身長:161cm
- 所属:朝日放送テレビ(ABCテレビ)アナウンサー
- 入社年:2019年
朝日放送テレビに入社してからの増田紗織さんは、「新人」という枠にとどまらず、次々とチャンスをつかみながら存在感を示してきました。
持ち前の明るさやバイリンガルという強みを武器に、入社わずか数ヶ月で注目番組への出演を果たし、その後も順調にキャリアを積み重ねています。
しかも、どこか“肩の力が抜けた雰囲気”があって、それが視聴者にも安心感を与えているんですよね。
そんな増田さんの活躍ぶりを、いくつかの代表的な出演番組とともに見ていきましょう。
ABCテレビ入社後の担当番組と注目の抜擢
2019年4月に朝日放送テレビへ入社した増田紗織さんは、その年の6月には早くも自分の名前が冠についたPR番組「サリーの6(ロック)おん!」でレギュラーデビュー。
「サリー」は彼女の愛称でもあり、デビューからすでに“顔”としての存在感を期待されていたのがわかります。
さらに、その年の11月には、同局の人気情報番組「ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です」で、ラジオニュースのパートを担当。
テレビとラジオ、両方のフィールドで起用されるあたりに、局側の信頼の大きさがにじみ出ていますよね。
こうして入社1年目から安定した滑り出しを見せ、番組でのフレッシュな語り口やリアクションは視聴者からも好評を博しています。
今後、さらにバラエティ系番組や情報番組など、ジャンルを超えて活躍の幅を広げていくでしょうね。
「探偵!ナイトスクープ」秘書としての評価と舞台裏
増田紗織さんのキャリアを語るうえで外せないのが、「探偵!ナイトスクープ」での“4代目秘書”就任です。
この人気番組での秘書役といえば、初代の松原千明さん、2代目の岡部まりさん、3代目の松尾依里佳さんなど、いずれも番組に彩りを添えた存在ばかり。
そこに、まだ新人だった増田さんが抜擢されたというのは、かなり異例なことだったんです。
最初は「若すぎるんじゃない?」という声もあったようですが、彼女はそのプレッシャーを堂々と受け止めました。
生放送ではないとはいえ、視聴者の愛着が強い番組において、進行役としての立ち回りや絶妙な表情の切り替えなど、見ていて「やるなあ」と思わされるシーンがたくさんあります。
しかも、どんなに変な依頼内容が来ても、ニコっと笑って「わかりました」と受け止める姿が印象的で、番組の雰囲気にちゃんと溶け込んでるんですよね。
「ナイトスクープ」のような“関西ならでは”の空気の中でも、品の良さを失わずに自然体でいる増田さん。
それが、他のアナウンサーにはない魅力として、今も多くのファンを惹きつけているのかもしれません。
帰国子女エピソード:NYでの5年間と英語力の秘密


今でこそ流ちょうに英語を話す増田紗織さんですが、その裏には子ども時代に経験した大きな転機がありました。
なんと彼女は、幼い頃に父親の仕事の都合で、5年間もアメリカ・ニューヨークで生活していた帰国子女なんです。
言葉の壁、文化の違い、不安と好奇心が入り混じる環境の中で、彼女はたくさんの「はじめて」を経験しながら、一歩ずつ前に進んでいきました。
この時期に育まれた柔軟性や感受性、そして語学力が、今の彼女の礎になっているのでしょうね。
英語ゼロからのスタートと現地での生活
増田さんがニューヨークへ渡ったのは、わずか5歳のとき。
当時はまったく英語が話せなかったにもかかわらず、いきなり現地の幼稚園に入園することに。
それでも、初日から笑顔で帰ってきたというのだから、本当にたくましいですよね。
言葉がわからなくても、好奇心と明るさでぐんぐん吸収していく――そんな子ども時代の彼女の姿が目に浮かびます。
5年間のアメリカ生活の中で、自然と英語を身につけ、現地の子どもたちと同じように暮らせるようになったそうです。
だからこそ、帰国後もその英語力は彼女の大きな武器になっていて、今では「流ちょうな英語を話せるアナウンサー」としても注目されています。
異文化の中で育った感性って、大人になってからもずっと残るものなんですよね。
趣味のゴルフと「パットを片手で決める」特技
意外かもしれませんが、増田さんがゴルフを始めたのも、このアメリカ時代だったんです。
小学生の頃からプレーを始めたそうで、しかもただの趣味にとどまらず、かなりの腕前なんだとか。
特にユニークなのが、「右手一本でパターを持ってパットを決める」という特技。
これ、ちょっと真似できる人いないですよね。
ちなみにベストスコアは「89」とのこと。これはアマチュアとしてはかなりの成績で、本気度が伝わってきます。
大学時代の就職活動でも、このゴルフの話題をしっかりアピールしていたそうです。
人とちょっと違う経験やスキルって、こういう場面で活きてくるんでしょうね。
「遊び」も「学び」も全力で取り組んできた増田さんらしい、素敵なエピソードです。
東洋英和女学院で育まれた「お嬢様」精神


増田紗織さんの原点には、東洋英和女学院という一貫した学びの場がありました。
明治時代から続く伝統あるこの学校で、彼女は礼儀や教養だけでなく、「人としてどう生きるか」を自然に学んでいったのです。
その空気の中で育まれた品格と、内に秘めた芯の強さは、大人になった今の彼女の魅力にもつながっているように感じます。
ただの「いいところのお嬢さん」ではなく、しっかりとした価値観と優しさをもった女性――そう思わせてくれる背景には、この学び舎の存在があるのでしょうね。
小中高一貫教育のなかで磨かれた教養と品格
増田さんは、幼稚園から高校までずっと東洋英和女学院で学んできました。
東京・六本木にあるこの女子校は、キリスト教の精神に基づいた教育を行う名門で、古くから「お嬢様学校」として知られています。
小学校・中学校・高等部をすべて内部進学していることからも、家庭がしっかりとした教育方針を持っていたことがうかがえますよね。
また、この学校は単に勉強ができるだけではなく、礼儀作法や道徳心といった「人としての品格」を大切にする校風があります。
増田さん自身、メディアに出る時の立ち居振る舞いや話し方に、どこか品の良さがにじんでいますが、それはこうした環境で自然と育まれてきたものなのかもしれません。
本人は多くを語らないけれど、にじみ出る育ちの良さって、隠せるものではないんですよね。
そして何より、女性としての芯の強さと優しさを併せ持っているところが、本当の意味での“お嬢様”らしさなのではないでしょうか。
ジャズダンス部で鍛えた「タフな心」とは?
見た目の上品さとは裏腹に、増田さんの学生生活はけっこうストイック。
中学・高校の6年間を通して、彼女はずっとジャズダンス部に所属し、毎日練習に打ち込んでいたそうです。
放課後どころか、朝早くから学校に来て練習に励む日々。
上級生との厳しい上下関係や、真夏でも全力で踊る練習環境の中で、心も身体もかなり鍛えられたと語っています。
「私をタフにしてくれたのは、ダンス部での6年間」
と本人が振り返るように、そこでの経験は単なる部活を超えた人生の基礎になっているのかもしれません。
ただ楽しく踊っていたわけではなく、仲間とともにぶつかり合い、汗を流し、限界を超えていく中で、本当の意味での“強さ”を知ったのでしょうね。
今、テレビの世界という厳しい現場で堂々と立っていられるのも、実はこの時期に鍛えられた「折れない心」があるからなのかもしれません。
表面の柔らかさと、内に秘めた粘り強さ――このギャップが、増田さんの最大の魅力とも言えるのではないでしょうか。
慶應義塾大学時代:夢への布石と意外な素顔


伝統ある女子校から進学したのは、全国屈指の名門・慶應義塾大学。
法学部というハードな学問の世界に飛び込む一方で、増田紗織さんは“自分らしさ”を失わず、大学生活をのびのびと楽しんでいたようです。
ダンス、アルバイト、サークル活動……そのどれもに彼女らしい情熱が込められていました。
ただ勉強するだけではなく、“人として成長できる時間”だったことが、今の活躍につながっているんでしょうね。
法学部での学びとダンスミュージカルへの情熱
増田紗織さんが進学したのは、慶應義塾大学法学部。
政治や法律について学ぶ学部で、偏差値はなんと68とも言われるほどの超難関です。
法学部と聞くと、真面目でカタいイメージがあるかもしれませんが、彼女はその中でもとてもバランス感覚が良く、しっかり勉強しながらも自分の好きなことを全力で楽しんでいたそうです。
特に夢中になっていたのが、ダンスミュージカルサークルでの活動。
これまで中高で続けてきたジャズダンスの経験が、大学でもしっかり活かされていたんですね。
ステージに立つたび、観客を魅了するだけでなく、自分自身も生き生きしていく――そんな姿が想像できます。
法学のような論理的な世界と、表現の世界を行き来していた彼女だからこそ、今のアナウンサーという仕事に深みが出ているのかもしれません。
この時期の経験が、実は「伝える力」をじっくりと育てていたんでしょうね。
アナウンサー志望のきっかけと就活秘話
増田さんが“アナウンサーになりたい”と思ったのは、実は子どもの頃からの夢……ではなかったんです。
もちろん、テレビ局で働きたいという気持ちは小学生の頃からあったそうですが、具体的に「アナウンサー」として働く姿を思い描くようになったのは、就職活動が始まってから。
この「後から自分の適性に気づく」感じ、すごくリアルですよね。
学生時代、彼女は家庭教師のアルバイトをしていたり、趣味のゴルフを就活に活かしたりと、けっこう多才。
そんな中で、自分の個性や強みを活かせる仕事として、アナウンサーという道に惹かれていったのです。
しかも、最終面接の直前になってからアナウンススクール(テレビ朝日アスク)に通い始めたというエピソードも。
普通なら「間に合うの?」と不安になるようなタイミングですが、彼女はたった3日間で勝負に挑み、見事合格をつかみ取りました。
この思い切りの良さや集中力も、きっとダンスや学生時代の厳しい経験で培われたものなんでしょうね。
だからこそ、今もいろんな番組の現場で、彼女の柔軟さや芯の強さが自然とにじみ出ているのだと思います。
バラエティ志望と共演したい人たち


増田さんがこれから目指したいフィールドとして、インタビューなどで語っているのが「バラエティ番組への出演」です。
真面目な報道もこなせる彼女ですが、持ち前の明るさやリアクションの良さを活かせるバラエティの世界には、かなり興味があるみたいですね。
とくに、彼女が「いつか共演したい」と語っていたのが、大阪府立登美丘高校ダンス部の皆さんと、その指導者であるアカネ先生。
このダンス部といえば、「バブリーダンス」で一躍有名になった、あの伝説のチームです。
中高時代にジャズダンスに打ち込んでいた増田さんにとって、きっと尊敬する存在なんでしょうね。
「アナウンサーだから」と枠にとらわれることなく、表現の場をどんどん広げていきたいという気持ちが、その言葉の節々から伝わってきます。
いつか、番組で本当に一緒に踊っている姿が見られたら…なんだか感動してしまいそうですね。
まとめ
- 増田紗織さんは入社直後から大抜擢が続く注目アナウンサー
- 慶應法学部卒、ジャズダンスや英語など多彩な背景が魅力
- 今後はバラエティ出演や夢の共演にも意欲を見せている
増田紗織さんのこれまでの歩みをたどると、やっぱり“芯の強い女性”という言葉がぴったりだなと感じます。
ニューヨークでの生活や、東洋英和での一貫教育、慶應での法学とダンス。
そのすべてが彼女らしさを形づくっていて、「だからこそ今があるんだ」と思わされました。
「サリー」という愛称で親しまれながらも、常に努力を重ねてきた姿勢には、自然と応援したくなる魅力がありますよね。
これから彼女がどんな場面で輝いていくのか――期待せずにはいられません。