
上白石萌音さんはどんな学歴があるんだろう?
女優や歌手として幅広く活躍する上白石萌音さんですが、どのような学歴を歩んできたのか気になる方も多いのではないでしょうか。
鹿児島で過ごした幼少期から、芸能界入りのきっかけとなった中学時代、そして上京後の高校・大学での奮闘まで、その背景にはたくさんの努力が詰まっています。
この記事では、上白石萌音さんの出身小学校・中学校・高校・大学を詳しく紹介。
さらに、メキシコでの経験が彼女に与えた影響や、芸能活動と学業を両立させたエピソードにも触れていきます。
これを読めば、上白石萌音さんがどのように成長し、現在の活躍につながる道を歩んできたのかがわかります。
ぜひ最後までご覧ください。
上白石萌音の学歴一覧
上白石萌音さんは、鹿児島県で生まれ育ち、小学校から高校までを経て、大学まで進学しました。
学業と芸能活動を両立しながら歩んできた彼女の学歴を振り返ることで、その努力や魅力が見えてくるでしょう。
出身小学校・中学校・高校・大学まとめ
上白石萌音さんの学歴は、以下の通りです。
- 小学校:鹿児島市立皇徳寺小学校
- 中学校:鹿児島市立皇徳寺中学校
- 高校:実践学園高校
- 大学:明治大学 国際日本学部
出身小学校は鹿児島市内の公立小学校で、幼少期から音楽に親しむ環境で育ちました。
そして、中学校時代に芸能界入りを果たし、仕事と学業を両立しながら鹿児島での生活を続けていたんですよね。
高校進学を機に上京し、東京都の実践学園高校へ進学。
芸能活動が忙しくなる中でも学業を怠ることなく、高校生活を充実させていました。
大学は明治大学の国際日本学部に進学し、英語をはじめとする語学力の向上に励みました。
この学部は国際的な視点を持ちながら日本文化を学ぶことができるため、彼女にとって最適な環境だったのでしょうね。
芸能活動と並行しながら通学し、結果的に8年かけて卒業を果たしました。
こうして振り返ると、上白石萌音さんの学歴は単なる進学の記録ではなく、彼女の努力や成長の軌跡でもあることがわかります。
次の章では、鹿児島時代の学生生活について詳しく掘り下げていきましょう。
鹿児島時代の学生生活


上白石萌音さんは、鹿児島県鹿児島市で生まれ育ちました。
教育熱心な家庭で過ごしながら、小さい頃から音楽や表現に触れる機会に恵まれていたんですよね。
その経験が、後の芸能活動にも大きく影響を与えています。
ここでは、幼少期から小学校時代、さらにはメキシコでの生活までを詳しく見ていきましょう。
幼少期のエピソードと名前の由来
- 名前:上白石萌音(かみしらいし もね)
- 生年月日:1998年1月27日
- 出身地:鹿児島県串木野市
- 身長:152cm
- 血液型:AB型
- 所属:東宝芸能
上白石萌音さんの家族構成は、両親と妹の萌歌さんの4人家族。
実はご両親ともに教育に携わる仕事をしており、お父さんは社会科の教師、お母さんは音楽の先生をしていたそうです。
そんな環境の中で育ったこともあり、幼い頃から学びや芸術に自然と親しんでいたのでしょうね。
「萌音(もね)」という名前には、お母さんの「音楽が好きになってほしい」という願いが込められています。
さらに、両親が印象派の画家クロード・モネの絵が好きだったこともあり、「モネ」という響きを意識して名付けられたのだとか。
芸術的な感性が息づく素敵な名前ですよね。
幼い頃から言葉を覚えるのが早く、2歳になる前には流暢に話し、歌を口ずさんでいたと言われています。
また、家ではお父さんと一緒に歴史ドラマを観ることが日課になっていたそうで、自然と歴史にも興味を持つようになったんです。
この頃の経験が、後に多方面で活躍する礎になっているのかもしれませんね。
小学校時代に培った音楽と表現力


上白石萌音さんが通っていたのは、鹿児島市立皇徳寺小学校。
音楽の先生だったお母さんの影響で、3歳からピアノを習い始めました。
しかし、厳しいレッスンが辛くなり、小学1年生の時にピアノはやめてしまったそうです。
その後も音楽への関心は続き、小学校時代には地元のミュージカルスクール「マリアミュージカルアカデミー」に通い始めました。
ここでは歌やダンスの基礎を学び、表現する楽しさを身につけていったんですよね。
このスクールには、HKT48の宮脇咲良さんも在籍しており、同い年ということもあって仲が良かったそうです。
ミュージカルだけでなく、クラシックバレエも習っていたため、舞台での表現力を身につけるには最適な環境だったのでしょう。
後に映画や舞台で活躍するようになったのも、この時期に培った基礎があったからかもしれません。
また、小学校低学年の頃は、お父さんの仕事の都合で鹿児島県いちき串木野市に住んでいた時期もありました。
小学2年生まではいちき串木野市立照島小学校に通っていたのですが、その後、皇徳寺小学校に転校しています。
こうした環境の変化を経験したことも、適応力のある性格を育てるきっかけになったのでしょうね。
メキシコでの生活が与えた影響
上白石萌音さんが小学3年生の時、お父さんの仕事の関係で家族でメキシコへ移住しました。
3年間、メキシコ中部のグアナファト州に住み、現地の日本人学校に通っていたそうです。
異国の文化の中で生活することで、世界観が広がったのは間違いないでしょうね。
メキシコは音楽やダンスが盛んな国。
街中で自然と音楽が流れ、人々が歌ったり踊ったりしている様子を目にすることが多かったと言います。
この環境が、後の音楽活動や表現力に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。
また、現地での生活を通じて、人前で自分を表現することに抵抗がなくなったとも語っています。
実際、後のインタビューで「メキシコに行っていなかったら、今の自分はなかったかもしれない」と話しているほど。
それほどまでに、メキシコでの3年間は上白石萌音さんにとって大きな転機だったのでしょうね。
帰国後、再び鹿児島のミュージカルスクールに通い、先生から「性格が変わったね」と言われたそうです。
それまでの彼女は少し内向的な性格だったようですが、メキシコの陽気な文化の中で人と接することが好きになり、積極性が増したのでしょう。
この経験がなければ、芸能界での活躍も違ったものになっていたのかもしれませんね。
小学校6年生の時に日本へ帰国し、皇徳寺小学校に編入。
この頃にはすでに芸能活動への興味も芽生えており、中学進学後の大きな転機へとつながっていきます。
次の章では、中学時代の芸能界デビューと学生生活について詳しく見ていきましょう。
中学時代の芸能界デビューと学生生活


上白石萌音さんの中学時代は、人生の大きな転機となる時期でした。
地元の鹿児島で普通の中学生として学校生活を送りながら、芸能界という新しい世界へと足を踏み入れています。
この頃から本格的に仕事と学業の両立を考え始めることになり、多忙な日々を過ごすようになったんですよね。
鹿児島市立皇徳寺中学校での青春


上白石萌音さんは、鹿児島市立皇徳寺中学校に進学しました。
この中学校は、地元では比較的規模の大きい公立中学校で、部活動も盛んな学校として知られています。
そんな環境の中で、上白石さんはどのような中学生活を送っていたのでしょうか。
中学時代は、妹の上白石萌歌さんも2学年下に在籍しており、姉妹そろって同じ学校に通っていました。
もともと内気な性格だったそうですが、中学に入る頃には少しずつ積極性が増し、クラスメイトとも打ち解けるようになっていきます。
また、先生や友人たちからも慕われる存在だったとか。
部活動には所属していなかったものの、学校行事や授業にはしっかりと取り組んでいたようです。
ただ、中学1年生の終わり頃には芸能界入りを果たしているため、すでに学業と仕事の両立を意識しながら生活する日々が始まっていました。
学校に通いながら芸能活動を続けるのは並大抵のことではないでしょうね。
東宝シンデレラオーディションの挑戦秘話
中学1年生の終盤、上白石萌音さんは「東宝シンデレラオーディション」に応募しました。
このオーディションは、東宝が主催する新人女優発掘の登竜門ともいえるもので、過去には沢口靖子さんや長澤まさみさんなどの人気女優を輩出しています。
参加したのは、ミュージカルスクールの先生から勧められたのがきっかけ。
実は、最初から本気で女優を目指していたわけではなく、「東京に行けたらいいな」という軽い気持ちでの応募だったそうです。
しかし、予想を超える結果が待っていました。
応募総数約4万4千人の中から、上白石萌音さんは見事「審査員特別賞」を受賞。
ちなみに、グランプリを獲得したのは妹の上白石萌歌さんでした。
姉妹そろっての受賞は非常に珍しく、当時から注目を集めていたんですよね。
受賞後は、すぐに芸能界入り。
中学2年生になる頃には、NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」や映画「空色物語」への出演が決まり、本格的な女優活動を開始しました。
たった1年前には、普通の中学生として鹿児島で暮らしていたことを考えると、驚くべきスピードで新しい道へと進んでいったのがわかりますね。
芸能活動と学業の両立はどうしていた?
中学時代の上白石萌音さんは、鹿児島と東京を行き来しながら仕事をこなしていました。
大手の芸能事務所に所属したことで、撮影やイベントのたびに鹿児島から東京へ移動しなければならず、その生活はかなりハードだったはずです。
彼女自身も、当時のインタビューで「周りの人たちにも迷惑をかけたし、自分自身もすごくきつかった」と語っています。
土日に東京へ行き、仕事が終わると鹿児島に戻る。
そして、月曜日からは普通に学校に通うという生活を続けていました。
移動中の飛行機の中では宿題をこなし、学業にも手を抜かないよう努力していたそうです。
こうした生活の中でも、友人たちとの関係は良好でした。
芸能活動をしていることを特別視せず、自然体で接してくれる友人が多かったことが、精神的な支えになっていたのでしょう。
また、家族のサポートも大きく、お母さんが東京での仕事に付き添ってくれたことで、安心して活動に打ち込むことができたようです。
中学卒業までの3年間、地元の学校に在籍し続けながら芸能活動を続けた上白石萌音さん。
この頃の努力があったからこそ、高校以降の活躍につながっていったのでしょうね。
次の章では、高校進学と上京後の生活について詳しく見ていきます。
上京と高校時代の奮闘


中学時代に芸能界入りを果たした上白石萌音さんは、高校進学を機に鹿児島から東京へと生活の拠点を移しました。
高校生活を送りながら、女優としてのキャリアも本格的にスタートさせたこの時期は、まさに挑戦と努力の連続だったでしょうね。
学業と仕事の両立に加え、新しい環境に適応するための奮闘があったことは想像に難くありません。
実践学園高校に進学!学校生活は?


上白石萌音さんが進学したのは、東京都中野区にある私立の実践学園高校。
この学校はスポーツが盛んで、特にバスケットボール部や卓球部は全国大会の常連として知られています。
また、特別進学コース(偏差値61)と文理進学コース(偏差値58)があり、進学指導にも力を入れている高校です。
上白石さんがどちらのコースに在籍していたかは公表されていませんが、芸能活動と両立する環境を考えると、比較的自由度の高い文理進学コースに所属していた可能性が高いでしょうね。
高校入学と同時に、母親と妹の上白石萌歌さんと共に上京し、事務所の寮での生活がスタートしました。
それまでの鹿児島での生活とは大きく異なり、都会での新しい環境に適応することは簡単ではなかったかもしれません。
とはいえ、持ち前の努力家な性格もあり、勉強と仕事のバランスをとりながら充実した高校生活を送っていました。
高校1年生の頃は、仕事のスケジュールに追われながらも、学業にも力を入れていたそうです。
「勉強熱心な学校だったので、1年生の時からかなり鍛えられました」と語っており、芸能活動と並行しながらも手を抜かずに取り組んでいた様子が伺えます。
また、英語が得意だったため、英語の授業では特に積極的に発言していたのだとか。
日本アカデミー賞新人賞を受賞した高校2年生
高校2年生の時、上白石萌音さんにとって大きな転機となる作品と出会いました。
それが、映画「舞妓はレディ」です。
この作品の主演オーディションでは、約800人の中から見事主役の座を射止めました。
当時、彼女は高校生ながらも役作りのために京都で稽古を重ね、舞妓としての所作や京都弁の習得に励みました。
その結果、映画公開後には「この新人女優は誰?」と注目を集め、演技力の高さが評価されることに。
そして、この作品での演技が認められ、2014年に第38回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。
高校生でありながら、日本の映画界で大きな賞を受賞するという快挙を成し遂げたんですよね。
一方で、撮影や授賞式などで多忙を極める中、高校の勉強もしっかり続けていました。
授業に出られない日もありましたが、課題や試験対策を計画的に進め、学業をおろそかにすることはなかったようです。
「学校では普通の高校生として過ごしていた」と語っており、仕事とプライベートの切り替えを意識していたことがわかりますね。
高校での友人関係と日常生活
芸能活動をしていると、高校生活での友人関係が難しくなることもあるものですが、上白石萌音さんは自然体で過ごしていました。
実践学園高校には、彼女の芸能活動を特別視せず、普通のクラスメイトとして接してくれる友人が多かったようです。
「学校にいる間は、芸能の仕事をしていることを忘れてしまうくらいだった」と語っており、安心できる環境だったのでしょうね。
また、高校では部活動には所属せず、仕事との両立に集中していました。
もともと読書が好きだったため、空き時間にはよく本を読んでいたそうです。
特に、村上春樹さんの小説を好んでいたというエピソードもありますね。
一方で、苦手だった科目は理科。
実験があまり得意ではなかったようで、「テスト前にはかなり勉強した」と振り返っています。
そんなエピソードを聞くと、勉強面でも努力を惜しまない姿勢が伝わってきますね。
高校3年生になると、ミュージカル「赤毛のアン」で主演を務めるなど、舞台の仕事も増えていきました。
この頃には、演技だけでなく歌手としての活動も本格化し、音楽の世界でも才能を発揮し始めています。
高校生活を振り返ると、学業、仕事、そして友人との時間をバランスよくこなしながら、充実した日々を送っていたことがわかりますね。
そして、高校卒業後は明治大学へ進学し、新たなステージへと歩みを進めていきます。
次の章では、大学時代の生活について詳しく見ていきましょう。
明治大学進学と学生生活


高校時代に女優としてのキャリアを確立した上白石萌音さんは、大学進学という新たなステップへと進みました。
学業と芸能活動を両立させながら、大学生活をどのように過ごしていたのでしょうか。
ここでは、学部選びの理由や大学での勉強、さらには卒業までの道のりについて詳しく見ていきます。
国際日本学部を選んだ理由


上白石萌音さんが進学したのは、明治大学国際日本学部。
この学部は、日本の文化や歴史を国際的な視点から学ぶことを目的とし、英語教育にも力を入れています。
2008年に設置された比較的新しい学部ですが、倍率が高く、人気のある学部なんですよね。
なぜこの学部を選んだのかというと、一つには「英語をもっと学びたい」という強い思いがあったからだそうです。
上白石さんは、小学生の頃にメキシコで3年間生活しており、その経験から異文化への興味を持つようになりました。
また、英検2級やスペイン語検定6級を取得していることからも、語学に対する関心の高さがうかがえますね。
さらに、映画や舞台を通じて日本文化を世界に発信したいという思いもあったのではないでしょうか。
実際、彼女は「もっと視野を広げたい」「語学を活かした仕事ができるようになりたい」と語っています。
芸能活動と並行して学ぶ環境として、この学部はまさに理想的だったのでしょうね。
英語漬けの日々と学業の努力
大学では英語教育が充実しており、上白石萌音さんもかなり力を入れて取り組んでいたようです。
「週に8コマも英語の授業がある」と明かしており、まさに英語漬けの毎日だったとか。
特に、英語でのプレゼンテーションや翻訳の授業が印象的だったそうで、実践的な学びの機会が多かったのでしょう。
芸能活動が忙しい中でも、授業にはしっかり出席し、課題にも真面目に取り組んでいたようです。
「週5日は大学に通っていた」と話しており、仕事とのバランスをうまく取りながら勉強に励んでいたことがわかりますね。
また、この時期から読書にも力を入れるようになり、多い月には12冊も読んでいたそうです。
俳優の風間俊介さんからおすすめの本を教えてもらうこともあり、文学に対する関心がさらに深まったのでしょう。
語学と文学の両方を大切にしながら、自分自身の表現力を磨いていったのかもしれませんね。
仕事と大学の両立、留年を乗り越えた8年間
上白石萌音さんは、芸能活動と学業を両立しながら大学生活を送っていました。
在学中には、ドラマ「陸王」や「西郷どん」、映画「ちはやふる」などの作品に出演し、女優としてのキャリアを順調に積んでいきましたね。
さらには、歌手としても活動を本格化させ、2016年にはカバーミニアルバム「chouchou」をリリース。
俳優業と音楽活動の両方に全力を注いでいたため、大学生活は想像以上にハードだったでしょう。
そんな中、仕事の影響もあり、大学をスムーズに卒業することは難しかったようです。
本来であれば2020年3月に卒業予定でしたが、その後も大学の課題に取り組んでいる様子が報じられました。
そのため、一時は「中退したのでは?」という噂も流れましたが、実際にはしっかりと卒業まで努力を続けていたんですよね。
そして、2024年3月、ついに明治大学を卒業。
結果的に8年間かかりましたが、仕事と両立しながら卒業を果たしたのは本当に立派なことだと思います。
「学び続けることの大切さ」を体現した上白石萌音さんらしいエピソードではないでしょうか。
大学時代を通して培った知識や経験は、これからのキャリアにも活かされていくはず。
学びに対する真摯な姿勢が、女優としての表現力や作品への向き合い方にも良い影響を与えているのでしょうね。
まとめ
- 幼少期から音楽や表現に親しみ、芸能活動への素地を育んだ
- 中学時代に芸能界入りし、仕事と学業を両立しながら成長を続けた
- 高校・大学でも努力を重ね、8年かけて明治大学を卒業した
上白石萌音さんの学歴を振り返ると、一貫して努力を惜しまない姿勢が見えてきます。
鹿児島での幼少期から音楽や表現に親しみ、中学時代には「東宝シンデレラオーディション」をきっかけに芸能界入り。
高校進学とともに上京し、女優としてのキャリアを本格化させながらも学業を大切にしていました。
明治大学では語学の勉強に励みながら、女優・歌手としての活動も拡大。
忙しい日々の中で大学卒業まで8年を要しましたが、その姿勢からは学び続けることへの強い意志が感じられますね。
こうした経験が、現在の幅広い活躍につながっているのでしょう。
これからも上白石萌音さんを応援していきたいと思います。