
村上佳菜子さんって、どんな学生時代を送ってたんだろう?
このように感じたことはありませんか?
テレビで見る明るいキャラとはちょっと違う、スケートに人生をかけた少女の姿が、そこにはあるんです。
この記事では、村上佳菜子さんの小学校から大学までの学歴をもとに、スケーターとしての歩みや悩み、そして彼女らしい青春のエピソードをたっぷり紹介しています。
この記事を読むと、「あの笑顔の裏には、こんな日々があったんだなぁ」って、ちょっと違った目で村上さんを見られるようになるかもしれません。
村上佳菜子のプロフィール
- 氏名:村上 佳菜子(むらかみ かなこ)
- 生年月日:1994年11月7日
- 年齢:30歳(2025年現在)
- 出身地:愛知県名古屋市
- 身長:162cm
- 体重:43kg(※現役時代)
- 血液型:A型
- 家族構成:両親・姉(6歳上)
- 愛称:「おかな」
- 職業:元フィギュアスケート選手、プロスケーター、タレント、女優、声優
- 所属クラブ(現役時代):グランプリ東海クラブ
主な戦績:
- 2009年 ジュニアグランプリファイナル 金メダル
- 2010年 世界選手権 初選出(シニアデビュー年)
- 2010年 グランプリファイナル 銅メダル
- 2011年 アジア冬季競技大会 優勝
- 2013年 世界選手権 4位(自己最高)
- 2014年 ソチオリンピック 12位
引退時期:2017年4月(22歳)
スケート人生の原点!名古屋市立栄小学校時代


フィギュアスケートへの情熱が芽生えた幼少期。
競技人生の土台を築いたのは、小さなリンクと日常の中の練習だったんです。
3歳でスケート開始、浅田真央との関係もここから
村上佳菜子さんがスケートを始めたのは、ほんとにちっちゃい頃、3歳のときなんです。
お姉さんの影響で自然とリンクに立つようになったみたいで、家族の中では遊びの延長みたいな感覚だったそうです。
5歳になると「グランプリ東海クラブ」に所属して、本格的に練習を始めたんですけど、その頃からもう練習は結構厳しかったそうで…。
それでも、本人は「辞めたい」って思ったことが一度もなかったって話してました。
小学生でこの頑張りは本当にすごいことですよね!
実はこのクラブって、浅田真央さんも所属していたんです。
だから、村上さんと浅田さんって、幼少期からの知り合いなんですよね。
同じ名古屋市を拠点にしていて、自然と仲良くなっていった感じみたいです。
後に同じ高校に進学するわけですけど、この出会いが長い友情の始まりだったのかもしれません。



スケートは親にやらされていたわけではなく、好きで続けていたからこそ続いたのでしょうね
バレエ・ダンス・体操…多彩な幼少期の習い事
村上さんって、小さいころから運動神経バツグンだったみたいで、スケートだけじゃなくていろんな習い事もしてたんですよ。
たとえば、クラシックバレエも3歳から始めてたそうで、姿勢や表現力の基礎になったって言われてます。
他にも体操とか、ダンスも習ってたみたいです。
体を動かすことがとにかく好きだったんでしょうね。
今の村上さんのしなやかな動きとか、リンクの上での魅せ方って、たぶんこういう幼少期の積み重ねが大きいんだと思います。
「小学生の頃には練習がきつくなってきた」
このように村上さんもて言ってたけど、それでも続けたっていうのは、やっぱりスケートが特別な存在だったんでしょうね。
遊びよりもスケート、っていう生活が当たり前だったのかも。
たぶんこの頃から、もう「普通の子」とはちょっと違う道を歩き始めてたんだと思います。
中学時代に見せた世界への才能と葛藤


フィギュアスケーターとしての成長が一気に加速した中学生時代。
でもその裏側には、目に見えないプレッシャーや孤独が静かに積もっていたんです。
前津中学校での多忙な日々
村上佳菜子さんが通っていたのは、名古屋市立前津中学校っていう地元の公立中学校なんです。
普通の中学校ではあるんですけど、村上さんの毎日はもう“普通”からはかけ離れていたみたいで…。
この頃にはすでに国際大会にも出場していて、ほぼ毎日リンクでの練習があって、学校に通うのがやっとだったってお話されてました。
特に午後からの授業は早退することが多かったみたいで、クラスメイトと過ごす時間もあまりなかったそうです。
でも村上さん自身は、
「それが当たり前だったから」
って、あっさり話してて。
その覚悟の強さに驚きますし、きっとこの頃から“プロ意識”みたいなものがあったんだろうなって思います。



多くの中学生が友達と遊んでいた時間にひたすらスケートをしていたと考えると少し寂しい気もします
勉強との両立と孤独なテスト
リンクと学校を行き来するだけでも大変だったと思うんですけど、村上さんはちゃんと学業もこなしていたんですよ。
学校の授業に出られない分、提出ノートでカバーしたり、テストも1人だけ別室で受けてたって話があって…。
それって、簡単そうに聞こえるかもしれないけど、実際にはすごく孤独だったんじゃないかなって思います。
友達と一緒に「テスト頑張ろうね!」って言い合えない状況で、1人で教室に入っていくのって、けっこう精神的にきついと思うんです。
でも村上さんは、「辞めたいとか思ったことがない」ってインタビューで言っていて。
その言葉には、競技とちゃんと向き合っていた人にしか出せない重みがあるなぁって感じました。
初の世界大会出場と挫折
中学時代のハイライトと言えるのが、ジュニアグランプリファイナルへの出場なんです。
ジュニア1年目に出場して、結果は総合4位。
トップ選手としてのスタートは切れたけど、本人にとっては「めちゃくちゃ悔しかった」出来事だったみたいです。
そのとき、「絶対に次は優勝する」って強く思ったらしくて、そこからのシーズンでは全試合で優勝してるんですよね。
このエピソードってすごく印象的で、悔しさがちゃんと次の成長につながってるのが伝わってきます。
でも、そんな中学生ってなかなかいないですし、あの年齢で「負けを糧にする」っていう考え方ができるのは、ほんとにすごいなって思いました。
ちなみにこの2009年には、ジュニアグランプリで優勝もしてて、世界の舞台でも存在感を放ってました。
一方で「友達と遊びに行こうとすると、コーチに連れ戻されたこともあった」ということもあったそうです。
やっぱり“青春”と引き換えに、スケートにすべてを注いでいた時期だったんでしょうね。
憧れと現実が交錯した中京大中京高校


夢に手が届きそうな距離で感じたプレッシャーと希望。
村上佳菜子さんの高校生活は、まさに「強くなる」ための毎日だったんです。
浅田真央から受け継いだ制服と覚悟
村上佳菜子さんが進学したのは、中京大学附属中京高校。
この高校はスポーツの名門校として有名で、フィギュアスケート部も全国レベルなんですよね。
村上さんはスポーツ推薦でこの学校に入学していて、実は、先輩だった浅田真央さんのブレザーを譲り受けて着ていたそうです。
「姉でもあり大親友」と語る浅田さんの制服を身につけて登校するって、きっと特別な思いがあったんだろうなって感じます。



大好きな先輩の制服を受け継ぐって本当に素敵な話ですね!大切に着ていた姿が思い浮かびます
シニア転向と世界の舞台へ
高校生になると同時に、村上さんはシニア大会に本格参戦するようになったんです。
練習の量も質も格段に上がって、毎日がスケート漬けだったって話されてました。
その頃にはすでに世界選手権にも初選出されていて、高1でグランプリファイナル3位っていう快挙も達成してます。
でもそれって、すごいことのはずなのに、本人は「1つの失敗も許されない」って思い詰めていたらしくて。
まるで、何かに取り憑かれたように練習していた時期もあったみたいです。
周りの期待、プレッシャー、自分へのストイックさ。
その全部を抱えながらリンクに立ち続けた日々って、想像するよりずっと重かったんじゃないかなって思います。
初恋の話も?青春の裏にある選手としての覚悟
高校生活って聞くと、友達との放課後とか、文化祭とか、そういうイメージが強いと思うんですけど…。
村上さんの高校時代は、それとはちょっと違ってたみたいです。
実は、高校時代に初めて男子とお付き合いしてたってインタビューで話していて。
でもその彼とは、1年間で会えたのがほんの1週間程度だったそうなんです。
「シーズンが始まると、めんどくさくなっちゃって」
って、村上さんらしい明るい語り口なんですけど、裏にはちゃんとした理由があって。
やっぱりスケートを最優先にしてたから、恋愛に気持ちが向かなかったみたいです。
「どんなに気になる人でも、1週間以上先の約束ってなると、近づくにつれてめんどくさくなってドタキャンしちゃう」
っていう言葉からも、リンクに向けた真剣さが伝わってきますよね。
だからこそ、そんな青春の時間さえも削って、自分をスケートに懸けていたんだなって、ちょっと胸が熱くなるような気がしました。
中京大学時代とオリンピックへの道


スケートの名門・中京大学で過ごした4年間。村上佳菜子さんが夢と現実の間で揺れながら歩んだ、最後の現役生活がここにあります。
フィギュア名門校での挑戦と悔しさ
村上佳菜子さんは高校卒業後、中京大学スポーツ科学部に進学しました。
中京大中京高校の系列校なので、内部進学という形でそのまま進んだんですね。
この大学って、ほんとにフィギュアスケートでは全国屈指の名門で、浅田真央さん、安藤美姫さん、宇野昌磨さん、小塚崇彦さんなど、トップ選手が次々に育っているんです。
そんな環境で、村上さんももちろんスケート部に所属して、大学でも競技を続けてました。
ただ、大学に入ったからといってペースが緩むわけじゃなくて…。
むしろ「オリンピックを目指す」という明確な目標があったからこそ、今まで以上に練習に追い込まれていたんだと思います。
結果が出るときもあるけど、すべてが順風満帆じゃなかったのは、本人が一番よくわかっていたはずです。
ソチ五輪出場もスランプに苦しむ日々
2014年、大学1年生のときに村上さんはソチオリンピックに出場しました。
これはもう、ずっと目指していた舞台だったと思うんですけど、結果は12位。
表彰台には届かなかったんですよね。
だけど、オリンピックって出るだけでも本当にすごいことなので、それだけで十分って言いたくなるんですけど…。
村上さんにとっては、もっと上を狙っていた分、悔しさも大きかったんじゃないかと思います。
その後、ケガやスランプが続いてしまって、どれだけ練習しても結果が出ない時期が続いたそうです。
本人も「いくら頑張っても報われない」って感じることがあったって話してました。
そういうときって、自信がなくなったり、リンクに立つのが怖くなったりもすると思うんですよね。



でも、それでも続けたっていうところに、村上さんの強さがある気がします。
大学卒業とともに決めた引退の理由
大学4年生だった2016年の終わりごろ、村上さんの心の中に「これが最後かもしれない」という気持ちが芽生え始めたそうです。
そのタイミングで行われた全日本選手権では、もう“引退”の二文字がうっすら浮かんでいたみたいで…。
そして、2017年3月に中京大学を卒業すると同時に、翌月には正式に現役引退を表明しました。
まだ22歳のときでした。
多くの人が「えっ、早くない?」って思ったかもしれませんが、きっと本人の中では、もうやり切ったって気持ちもあったんでしょうね。
本来のパフォーマンスをなかなか取り戻せなかったもどかしさもあって、潔く決断したんだと思います。
でも、引退後すぐにプロスケーターとして活動を始めたり、バラエティに引っ張りだこになったりと、新しい道を歩き始めていて。
タレントとしての自然体な姿がまた、たくさんの人に愛されてる理由なんだと思います。
まとめ
- 3歳から始めたスケートが人生を大きく変えた
- 学業と両立しながら世界の舞台に挑み続けた日々
- 挫折と希望が交差した青春の全てが、今の魅力につながっている
小さなころからスケートとともに過ごしてきた村上佳菜子さん。
小学生の頃にはすでに本格的な練習に励み、周りとは少し違う毎日を送っていたんですよね。
中学生で世界大会に出場し、高校では夢に向かって真っすぐ進みながらも、青春の揺れ動く気持ちと向き合ってきたようです。
大学生になってもプレッシャーやスランプに悩みつつ、それでも前に進んでいた姿は、ほんとにかっこいいと思います。
だからこそ、今の明るくて愛される姿があるんでしょうね。
これからも村上佳菜子さんを応援していきたいと思います。

