村重杏奈の学歴とは?HKT48加入の裏側も公開!

村重杏奈
ryomo

村重杏奈さんはどんな学歴があるんだろう?

芸能界で明るく活躍し続ける村重杏奈さん。
HKT48の元メンバーとして知られていますが、どのような学歴を歩んできたのか気になる方も多いのではないでしょうか。
小学校時代から芸能界を志し、中学でHKT48に加入、高校では通信制を選択しながらも芸能活動に打ち込む日々を過ごしていました。
そして大学進学を選ばず、芸能一本で生きていくことを決意。
その背景には、どのようなエピソードがあったのでしょうか。

この記事では、村重杏奈さんの幼少期から現在に至るまでの学歴や学生時代のエピソードを詳しく紹介します。
ロシア語が堪能な家庭環境、転校を経験しながらのHKT48時代、卒業の危機を迎えた高校生活、そして現在の活躍まで、彼女の歩みを紐解いていきます。

目次

村重杏奈のプロフィール

  • 名前:村重 杏奈(むらしげ あんな)
  • 生年月日:1998年7月29日
  • 出身地:山口県和木町
  • 身長:163cm
  • 血液型:O型
  • 家族構成:父(日本人)、母(ロシア人)、妹2人(村重マリア・村重エリカ)
  • 経歴:
  • ・2011年:HKT48の第1期生オーディションに合格し、研究生として加入
  • ・2012年:HKT48の正規メンバーに昇格し、シングル選抜メンバーに選ばれる
  • ・2014年:「AKB48選抜総選挙」で67位にランクイン
  • ・2015年:「マジすか学園4」などのドラマに出演し、女優業にも挑戦
  • ・2021年:HKT48を卒業し、タレントとして活動開始
  • ・2022年:「呼び出し先生タナカ」での活躍が話題となり、バラエティ番組に多数出演
  • 学歴:
    ・和木町立和木小学校
    ・和木町立和木中学校(HKT48加入後、福岡市内の中学校に転校)
    ・第一薬科大学付属高校(通信制課程・卒業)

小学校時代:芸能界への夢を抱いた幼少期

草原で遊ぶ小学生

村重杏奈さんの幼少期は、家庭環境や興味関心によって大きな影響を受けた時期でした。ロシア語が飛び交う家庭で育ちつつも、日本の文化にも馴染み、お笑い好きな明るい性格を発揮。小学生のうちから芸能界を意識し、広島の芸能スクールに通い始めるなど、すでに将来の道を歩み始めていました。そして小学6年生では大きなオーディションで優勝し、その才能を証明。そんな小学生時代のエピソードを詳しく紹介していきます。

ロシア語が堪能な環境で育つ

村重杏奈さんは、日本人の父親とロシア人の母親を持つハーフとして誕生しました。家庭内では母親が積極的にロシア語を話していたこともあり、幼いころから自然とロシア語を身につけていったようです。

また、母親の影響でロシアの文化や食べ物にも親しんでいました。特に、ロシア料理のボルシチやピロシキが好物だったとのこと。こうした家庭環境の中で、村重さんは日本語とロシア語の両方を話すバイリンガルとして成長しました。

当時からその語学力は周囲にも知られており、友達から「ロシア語でしゃべってみて!」と頼まれることも多かったとか。そんな経験もあり、人前で話すことに抵抗がなくなっていったのかもしれませんね。

お笑い好きでクラスの人気者

村重杏奈さんは幼少期からお笑いが大好きで、家でも学校でも周囲を笑わせることが得意だったようです。特に、モノマネやちょっとしたコントのような動きで友達を楽しませることが多かったとか。

また、ただ面白いことをするだけでなく、「人を笑わせることに喜びを感じるタイプだった」とも語っています。クラスの中心人物として常に明るく、誰とでもすぐに仲良くなれる性格は、この頃からすでに確立されていたのでしょう。

そんな性格のおかげで、学級委員や行事の司会など、人前に立つ機会も多かったようです。こうした経験が後の芸能活動につながっていったのかもしれません。

「アクターズスクール広島」で本格的に芸能の道へ

小学生のころから芸能界に憧れを抱いていた村重さん。そんな彼女が通っていたのが、広島にある「アクターズスクール広島」でした。このスクールはPerfumeや元モーニング娘。の鞘師里保さんなど、多くの有名人を輩出していることで知られています。

村重さんはここでダンスや歌のレッスンを受け、芸能界への第一歩を踏み出しました。特にダンスのレッスンはかなり厳しかったようですが、持ち前の明るさと根性で乗り越えていったそうです。

また、スクール内でもお笑い好きな一面を発揮し、練習の合間に仲間たちを笑わせることも多かったとか。「楽しくなきゃ意味がない!」と考える性格が、このころから表れていたのでしょうね。

小学6年生でオーディション優勝

村重杏奈さんは、小学6年生のときに「ゆめタウン広島スカラシップ公開オーディション」に出場。このオーディションは、将来有望な若い才能を発掘するためのもので、多くの応募者が集まりました。

そこで見事グランプリに輝き、一気に注目を集めることに。審査員たちの印象に残ったのは、その堂々とした立ち居振る舞いと人懐っこいキャラクターだったと言われています。

この優勝をきっかけに、村重さんは「本格的に芸能界を目指したい」という気持ちを強めていきました。すでに小学生の時点で、将来の方向性をしっかり見据えていたのがすごいですよね。

こうして、村重杏奈さんの芸能活動への道は着実に開かれていきました。

中学時代:HKT48加入で転校を経験

中学時代の村重杏奈さんは、大きな転機を迎えた時期でした。小学生のころから芸能界への憧れを抱いていた彼女は、中学1年生でHKT48のオーディションに挑戦し、見事合格。その後、芸能活動に専念するために転校を経験し、多忙な日々を送ることになります。さらに、この頃から女優業やバラエティ番組にも挑戦し、活躍の幅を広げていきました。

中学1年生でHKT48の1期生オーディションに合格

村重杏奈さんがHKT48の1期生オーディションを受けたのは、2011年のことでした。当時、中学1年生。小学生の頃からアクターズスクール広島でレッスンを積んできたこともあり、「芸能界で活躍したい」という気持ちは人一倍強かったそうです。

オーディションの参加理由については、歌手の松田聖子さんに憧れ、少しでも近づきたいという思いがあったと語っています。また、HKT48が福岡を拠点とする新しいグループだったため、「新しい環境で自分を試してみたい」という気持ちもあったのかもしれませんね。

オーディションでは、彼女の持ち前の明るさやユーモアが審査員の目に留まり、見事合格。こうして、HKT48の1期生として芸能界入りを果たしました。同期には、本村碧唯さん、兒玉遥さん、宮脇咲良さん、森保まどかさん、若田部遥さんなど、後にグループを代表するメンバーが多く名を連ねていました。

HKT48加入後は、研究生としてレッスンを受けながら活動をスタート。中学1年生という若さもあり、学業との両立が求められる日々が始まりました。

福岡市内の中学校へ転校

HKT48に合格したことで、村重杏奈さんは地元・山口県の和木町立和木中学校から福岡市内の中学校へ転校することになりました。これは、HKT48が福岡を拠点に活動していたため、芸能活動との両立を考えての決断だったのでしょう。

転校の際、和木中学校の先生から「有名になって帰ってきてほしい」と言われたことを後のインタビューで語っています。この言葉は、村重さんにとって大きな励みになったに違いありませんね。

しかし、新しい環境への適応は簡単なことではなかったはずです。これまで住み慣れた町を離れ、慣れない都市での生活をスタート。さらに、HKT48のレッスンや公演など、芸能活動のスケジュールも本格化し、多忙な毎日を送ることになりました。

とはいえ、持ち前の明るさとコミュニケーション力で、新しい学校でもすぐに友人を作っていたことでしょう。こうした環境の変化を乗り越えながら、村重さんは芸能界でのキャリアを築いていきました。

女優デビュー&バラエティ挑戦

HKT48のメンバーとしての活動を続ける中で、村重杏奈さんは中学2年生の時に「マジすか学園3」に出演し、女優デビューを果たしました。このドラマはAKB48グループのメンバーが出演する人気シリーズで、村重さんはHKT48から唯一の出演メンバーとして選ばれたんです。

当時は演技経験がほとんどなかったものの、与えられた役に全力で挑戦。「どうすれば魅力的なキャラクターに見えるか」を考えながら撮影に臨んだそうです。慣れない現場でのプレッシャーもあったでしょうが、女優としての第一歩を踏み出した貴重な経験となりました。

さらに、中学2年生の1月には、お笑いの才能を生かして「R-1ぐらんぷり」にも挑戦。ピン芸人日本一を決める大会で、なんと2回戦まで進出しました。アイドル活動と並行して、こうした新たなジャンルにも果敢に挑戦する姿勢は、まさに村重さんらしいですよね。

このように、中学時代は転校や芸能活動の両立、そして新たなチャレンジが詰まった濃密な期間でした。アイドルとしての活動を軸にしながら、女優やバラエティの分野にも積極的に挑戦する姿勢が、後の活躍につながっていったのでしょう。

高校時代:通信制で学びながら芸能活動

第一薬科大学付属高校
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