桜田ひよりの経歴と意外な素顔!子役時代の秘話も公開

桜田ひよりの経歴
ryomo

桜田ひよりさんは、どんな経歴なんだろう?

画面の中で彼女が泣く姿に胸を打たれた経験がある方も多いかもしれません。

でも実は、桜田ひよりさんの魅力は「演技力」だけではないんです。
彼女がどんな家庭で育ち、どんな夢を抱いてきたのか。
子役時代の葛藤や、モデルとしての一面、そして朝ドラ出演を目指す理由まで。

この記事では、桜田ひよりさんの知られざる経歴と素顔を、エピソードとともに丁寧に紐解いていきます。
読んだあとには、彼女をもっと応援したくなるかもしれません。

目次

女優・桜田ひよりはどんな人物?

子役からスタートし、いまや実力派の若手女優として注目されている桜田ひよりさん。
ドラマや映画にとどまらず、雑誌モデルや声優としても活動の幅を広げています。

そんな彼女、ふんわりとした可愛らしさと芯の強さをあわせ持つ雰囲気が魅力なんですよね。
けれど、その素顔やバックグラウンドを知っている人は意外と少ないかもしれません。

ここでは、年齢・出身地・そしてちょっと意外な本名まで、桜田さんの“はじまり”をひも解いていきます。

千葉県生まれ横浜育ち、本名は「成田ひより」

  • 芸名:桜田 ひより(さくらだ ひより)
  • 本名:成田 ひより(なりた ひより)
  • 生年月日:2002年12月19日
  • 年齢:22歳(2025年9月現在)
  • 出身地:千葉県生まれ、神奈川県横浜市育ち
  • 身長:158cm
  • 血液型:A型
  • 所属事務所:研音
  • 活動開始年:2012年〜(子役時代から)

桜田ひよりさんは、2002年12月19日生まれ。
出身は千葉県ですが、育ったのは神奈川県横浜市なんです。

小学校4年生のとき、家族で横浜市鶴見区に引っ越したことがきっかけで、そこからはずっと横浜育ち。
子どものころに見た風景や人との出会いが、今の彼女の感性を育んだのかもしれませんね。

ちなみに本名は「成田ひより」さん。
今の芸名「桜田ひより」は、子役時代に事務所を移籍したタイミングで改名したそうです。

もともと芸能界入りしたのは、なんと幼稚園の年中さんのとき。
「女優になりたい」とお母さんに自ら話して、芸能事務所に入ったというから驚きですよね。

ご家族は両親と2歳年上のお兄さんの4人家族。
お兄さんとは子どもの頃、よくアニメを観たりゲームをしたりしていたそうですが、けんかも絶えなかったんだとか。

「ツンデレなお兄ちゃん」と話していたエピソードには、ちょっと微笑ましさを感じてしまいます。

こうした身近な家族との関係も、桜田さんの自然体な演技に影響しているのかもしれません。

幼少期から芸能界入り!子役時代の原点と初仕事

幼い子供のおもちゃが机の上に並べられている

桜田ひよりさんの芸能活動は、まだランドセルさえ背負っていない頃から始まっていました。
何となく始めたのではなく、「自分からやりたい」と願ったことが出発点。
その原点には、子どもらしい純粋な好奇心と、誰かの気持ちを動かしたいという優しさがありました。

いまの落ち着いた雰囲気からは想像できないかもしれませんが、実はとっても行動力のある女の子だったんですよね。

幼稚園で「女優になりたい」と決意したきっかけ

「女優さんになりたい」——その言葉を初めて口にしたのは、桜田ひよりさんが幼稚園の年中さんだったころ。

お母さんと一緒に観ていたテレビドラマ「相棒」。
その中で変わっていく登場人物の表情を見て、「私もこんなふうに誰かの表情を変えられる人になりたい」と思ったそうです。

まだ小さな体で、そんなふうに“演技で人の心を動かしたい”と思ったなんて、なんだか胸が熱くなりますよね。

そしてその思いをお母さんに打ち明けたところ、すぐに芸能事務所への所属が決まりました。
この時点では、まだ女優としてではなくキッズモデルとしてのスタート。

でも、この一歩がなければ、今の桜田さんはいなかったかもしれません。

モデル活動から子役へ、研音との出会い

最初に所属していた事務所では、主にキッズモデルとして活動していた桜田ひよりさん。
実はお兄さんも同じ事務所にいて、一緒にモデル活動をしていた時期があったそうです。
兄妹で同じ夢を追っていたなんて、素敵なエピソードですよね。

しかし、彼女の中にはずっと「女優として演技がしたい」という思いがくすぶっていました。

そこで、小学4年生のとき、演技の仕事ができる芸能事務所「研音」のオーディションを自ら受けに行きます。
この行動力、本当にすごい。まだ10歳前後だったはずなのに、しっかりと自分の意思を持っていたんですよね。

見事オーディションに合格し、晴れて子役としてのキャリアがスタート。
それまでのモデル活動とはまた違った道に踏み出した瞬間でした。

こうして「桜田ひより」という名前で、女優としての一歩を歩みはじめることになります。

ブレイクのきっかけ「明日、ママがいない」出演秘話

女の子がオーディションを受けている

桜田ひよりさんの名を一躍全国に知らしめた作品が、2014年に放送されたドラマ『明日、ママがいない』でした。
当時まだ12歳だった桜田さんが、社会的にも注目を集めたこのドラマで見せた演技力は、まさに“子役の域”を超えた存在感。

子どもらしいあどけなさと、心の奥に潜む影のような感情を繊細に演じ分ける姿に、心を動かされた人も多いはずです。
この作品こそが、彼女が“女優・桜田ひより”として広く認識されるターニングポイントになったんですよね。

10歳で挑んだオーディションと“泣きの演技”

『明日、ママがいない』で桜田ひよりさんが演じたのは、主要キャストのひとりである“ピア美”。
実はこの役、最初のオーディションでは10人ほどの候補者がいたそうですが、そこからどんどん人数が絞られていきました。

オーディションの2回目では、桜田さんがピア美役をずっと演じ続けていたと語っていて、
「もうあの時点で決まってたのかも」と、後にインタビューで振り返っています。

演技のなかでも特に光っていたのが、“泣く”シーン。
「小さいときは3秒で泣けたんです」と笑って話していたように、自然でリアルな涙を流せるその力は、すでにプロの域。

感情を押しつけることなく、静かにでも確かに心を揺さぶる表情は、視聴者の記憶にも残っていますよね。

子役時代の注目作と演技の評価

『明日、ママがいない』での演技をきっかけに、桜田さんの出演作は一気に増えていきました。
その翌年には、EXILEのTAKAHIROさん主演ドラマ『ワイルド・ヒーローズ』でヒロイン役に抜擢

さらに2017年には、人気コミック原作のドラマ『咲-阿知賀編 episode of side-A』で主演に。
麻雀を題材にした作品で、戦いのなかにある少女たちの絆と成長を、強くも柔らかく演じきりました。

子役にありがちな“可愛らしさ”だけでなく、複雑な内面や葛藤をしっかりと表現できることが、桜田さんの強み。
単なる一過性のブームではなく、「本当に演技ができる女優さん」として認められ始めた時期だったのでしょうね。

この頃から、すでに“泣ける演技”が定評を呼んでいて、現場でも「頼れる存在」として信頼されていたといいます。
年齢以上の表現力に、当時から業界内でも注目が集まっていたのがよくわかります。

学生時代と並行する女優活動:中学・高校でのリアルな青春

女の子が勉強をしている

桜田ひよりさんの学生生活は、いわゆる“普通”とは少し違っていました。
中学・高校時代を通して、ずっと芸能の仕事と学業を両立していたんですよね。

でも、だからといって孤独だったわけではなくて、修学旅行でのちょっとした失敗や友達とのやりとりなど、
桜田さんなりにちゃんと“青春”を過ごしていたことがわかります。

ここでは、そんな彼女の中学・高校時代に焦点を当ててご紹介していきます。
ドラマの裏で、どんな学生生活を送っていたのか、気になりますよね。

中学時代の代表作と修学旅行エピソード

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