
白河れいさんって、結局どこの大学なの?
そう思って検索した方、多いんじゃないでしょうか。
実は青山学院に通っていたのに、大学は別の道を選んでいるんですよね。
この記事では、白河れいさんの幼稚園から大学までの学歴と、そこで何を学び、どんな経験をしてきたのかを、順を追ってわかりやすくまとめています。
さらに、芸能界デビューまでの背景や、ご家族との関係までふれていますので、読み終えるころには彼女の芯の強さがきっと見えてくると思います。
彼女が歩んだ道を、いっしょにたどってみませんか。
白河れいのプロフィール
- 2002年4月18日生まれ、東京都出身
- 身長は165cm、血液型は非公表
- 本名は花田晃帆(はなだ あきほ)さん
白河れいさんの本名は花田晃帆(はなだ あきほ)さんといって、じつはお父さんが元横綱の貴乃花光司さん、お母さんは元フジテレビのアナウンサーだった河野景子さんなんですよね。
3人きょうだいの真ん中で、上には兄の花田優一さん、下には妹の花田晏佳(はるか)さんがいらっしゃいます。
特に兄の優一さんもタレントとして活躍されているので、メディアでお名前を見たことがある人も多いかも。
このとき、情報番組「ぽかぽか」のコメンテーターとしてレギュラー出演が決まり、話題になりましたよね。
さらにその年の夏には、ドラマ「僕たちの校内放送」で女優デビューも果たしています。
ちなみに白河さんの将来の夢は、海外でも活躍できる女優になることなんだとか。
ハリウッド女優のジュリア・ロバーツさんに憧れているそうで、
「いつか同じステージに立ってみたい」
と語っていたのが印象的でした。
幼少期〜小学生時代:青山学院でのスタート
白河さんのご家庭はあの有名な花田家。
そんな白河れいさんの幼かったころはどんな子だったのでしょうか。
かなり気になりますよね!
初等部・幼稚園からエスカレーター式に進学
白河れいさんは、青山学院幼稚園からスタートして、そのまま青山学院初等部に進学しています。
いわゆるエスカレーター式の学校生活を、小さいころからずっと送っていました。
青山学院って、幼稚園から大学までつながっていて、入るのもかなり大変な学校なんですけど、そこに最初から通っていたってだけでも、ちょっと特別な感じがしちゃいます。
しかも、白河さんのご家庭はあの有名な花田家。
ただ、小学校時代はけっこう普通の女の子だったそうです。



家では芸能の話よりも、家族で過ごす日常のほうが大切にされていたのかもしれませんね。
女優志望は6歳から?クラシックバレエにも打ち込む
白河さんは、小学校時代から
「女優さんになりたい」
って言ってたんだそうです。
なんと、その気持ちが生まれたのは6歳のときだったんですって!
そんなに小さなときから将来の夢をしっかり持っていたなんて、すごいですよね。
とはいえ、小学校高学年くらいになるとだんだん言わなくなっていったらしくて。
きっと思春期に近づくにつれて、「夢」と「現実」のギャップも感じるようになったのかもしれません。
あと、女優の夢と並んで、アナウンサーに憧れたこともあったらしいんです。
これはやっぱり、お母さんの影響もあったんじゃないでしょうか。
それともう一つ大事なのが、白河さんは3歳からクラシックバレエを習っていて、しかも10年間も続けていたんです。
たった3歳で始めて、ずっと辞めずに続けるって、本当にすごい根性ですよね。
私には絶対無理です(笑)


青山学院中等部での生活と短期留学体験
中学では短期留学という大きな体験をすることになります。
白河れいさんがどのような中学生活を送ってきたかみていきましょう。
偏差値64の中学生活と家族の影響
白河れいさんは、青山学院中等部に進学しています。
この学校は私立の共学校で、偏差値は64といわれるちょっと難しめなところなんですけど、芸能人のお子さんや有名人の家庭も多いことで知られているんですよね。
中学時代の白河さんは、1年生のあいだは引き続きクラシックバレエに打ち込んでいたそうです。
お父さんが元力士で、お母さんはフリーアナウンサー。
そういう家庭で育った白河さんだからこそ自分の進路や夢に関しては早くから「自分で選びたい」っていう意志もあったようで。
家族の存在は大きかったはずなんですけど、ただ“有名人の娘”ってだけで終わらない芯の強さを、この頃から持っていたんじゃないかなって思います。
中2で経験したオーストラリア短期留学とは
白河さんは中学2年生のとき、学校のプログラムでオーストラリアに短期留学しているんです。
中学生で海外へ留学とかすごすぎですよね!
このプログラムは2週間という期間だったんですけど、初めて親元を離れて外国で生活する経験は、やっぱりインパクトが大きかったみたいですよ。
オーストラリアではホームステイしながら現地の学生と交流したり、文化や言葉の違いを肌で感じたりと、教室では学べないことがいっぱいあったそうです。
英語が通じない瞬間もあったかもしれないけど、それでも伝えたいって思う気持ちが強くなったっていうのは、本人もインタビューで語っていました。
この留学が、後のイギリス長期留学の決断にもつながっていくわけで。
「もっと世界を見てみたい」「もっと英語を話せるようになりたい」
って思うようになったきっかけが、きっとこの体験だったんでしょうね。
中学生で異国の文化に触れて、それが将来にまで影響を与えるって、すごく貴重なことだと思います。



今の白河さんが自然に英語を話せるのも、このときの体験があったからかもしれませんね!
高校時代の大転機:イギリスへの本格留学
安心できる環境を離れて、自分の目で世界を見たかった高校生活の決断。
そんな白河れいさんの高校時代をみていきましょう。
青山学院高等部に1年通学、その後の転校理由
白河れいさんは、青山学院高等部に進学されています。
この学校は偏差値が72とかなり高くて、都内の私立でも上位に入る人気校。
自由な校風と内部進学制度が整っていて、卒業生の多くはそのまま青山学院大学に進学していくルートが王道のようです。
でも、白河さんはちょっと違っていて。
高等部には1年だけ通ったあと、イギリスの高校に転校しているんです。
青学高等部には交換留学制度もあるんですけど、それは最長でも1年間まで。
白河さんが2年間イギリスに滞在していたということは、完全に転校というかたちをとったわけなんです。
しかもその転校って、自分の意思だったらしくて。
「東京の同じ環境でずっと過ごしてきたから、外の世界をこの目で見たいと思った」
と語っています。
15歳のときにご両親へ留学の希望を伝えたところ、ちゃんと了承をもらって、イギリスへ行くことになったそうです。
それでも「変わりたい」「挑戦したい」って気持ちが勝ったんだろうなって思います。
海外での生活と語学力、将来への布石
白河さんがイギリスの高校に通っていたのは、もちろん英語を本格的に学びたいという思いだったみたいなんですけど、
「建物の歴史がそのまま残っている感じに憧れた」
とも語っていました。
日本とは違う景色や空気に惹かれた気持ちも、きっとあったんでしょうね。
現地の学校では、もちろん授業はすべて英語ですし、文化も習慣もまったく違うから、最初は戸惑うこともあったんじゃないかと思います。
でも白河さんは、もともと英語が好きだったこともあって、だんだんと語学にも生活にもなじんでいったそうです。
今では「英語ペラペラ」とまで言われていて、実際インタビューでもすごく自然に英語を話している映像もあって。
そのレベルにまでなるには、やっぱり相当な努力もあったはずだと思います。
かっこよすぎですよね!
イギリスで過ごした2年間は、単に語学だけじゃなくて、たくさんの人と出会って、世界の広さとか価値観の違いに気づけた時間だったと思います。



本当に意味のある、大きなターニングポイントだったんじゃないかなって感じますよね!
法政大学に進学!英文学科で学んだこと
なぜ青学ではなかったのか、そして法政大学と特定された理由はなんだったのでしょうか?
英語への情熱を貫いたキャンパスライフを覗いていきたいと思います。
「青学進学説」の真相と法政大学の根拠
白河れいさんの大学について、ネット上ではずっと「青山学院大学に進学したんじゃないか」って言われてたんですよね。
小学校から高等部まで青学に通ってたので、流れとしては自然だったかもしれません。
でも実際には、青山学院高等部を卒業していないんです。
高校1年のあと、イギリスの高校へ転校してるので、内部進学の資格がなくなっちゃったそうです。
それで「青学大へは進学していない」と断定されたんですけど、じゃあどこ?ってなったときに出てきたのが法政大学。
白河さん本人は大学名をはっきり言っていないんですが、週刊文春が報道していたことや、SNSでの在籍情報が複数あること、さらに「英語を学んでいる」という本人の発言から、法政大学文学部英文学科がかなり濃厚とされてるんです。
偏差値は58くらいで、文系では上のほうに入る学部なんですよね。
きっとイギリス留学の経験を活かして、本格的に英語を学びたいと思ったのでしょうね。



自分の夢としっかり向き合って大学を選んだんだなって感じます。
ストレート卒業を実現した努力
白河さんは、2025年3月に大学を無事に卒業されたそうです。
芸能活動を始めたのが大学2年のときだったから、途中で休学したり、単位が足りなくなったりすることもあるかなって思ってたんですけど。
実際は、一度も留年せずにストレートで卒業してるんですよね。
学業と芸能の両立って、想像以上に大変なことだと思います。
撮影やテレビ出演が入ると、スケジュールが不規則になったり、授業に出られなかったりもするだろうし。
それでも、白河さんはあきらめなかったし、ちゃんと卒業という結果を出したっていうのが、もう本当に立派だなって。
夢に向かって頑張りながら、学生としての責任もしっかり果たしてたっていう姿勢が、素直にかっこいいなと思いました。
大学時代に芸能界デビュー!夢への第一歩
静かに温めてきた夢が、学生生活の中でついに動き出した瞬間!
ついに芸能界デビューについて深堀していきます!
デビュー時の心境と母・河野景子さんの後押し
白河れいさんが芸能界にデビューしたのは、2023年1月のことでした。
このとき彼女は大学2年生で、ちょうど成人式のタイミングと重なっていたんですよね。
もともと芸能界に憧れてはいたけれど、「学業を優先したい」って思いがあって。
高校時代はイギリスに留学していたし、そのあとも大学でしっかり勉強していたから、急いでデビューするようなことはなかったみたいです。
それが、大学生活に少し慣れてきたころに、
「そろそろ挑戦してもいいかもしれない」
と思えるようになったそうで。
このタイミングなら、自分らしくスタートできるって判断したのかもしれません。
デビューのとき、お母さんの河野景子さんはすごく応援してくれて。
「あなたらしく頑張ってね」
って、あたたかく背中を押してくれたそうなんです。
一方で、お父さんの貴乃花光司さんには、なんとデビュー後に知られたみたいで……。
このエピソードには、ちょっとびっくりですよね。
でもたぶん、白河さんなりにいろいろ考えて行動していたんだと思います。
家族のことも、自分の将来のことも、ちゃんとバランスを取っていた感じが伝わってきます。



やはり女の子は母親に人生の相談する子が多いのかもしれないですね
「ぽかぽか」出演から女優デビューまでの流れ
白河さんが最初に出演した番組は、フジテレビの「ぽかぽか」でした。
この番組で曜日コメンテーターとして起用されて、少しずつテレビの世界に慣れていったそうです。
トーク番組って、意外と難しい場面も多いと思うんですけど、白河さんは落ち着いた話し方と、やわらかい雰囲気で人気が出て。
「誰の娘か」とかじゃなくて、「この子、素直でいいな」って感じで見ていた視聴者も多かったんじゃないでしょうか。
そしてその年の8月には、ついにドラマ出演!
作品名は「僕たちの校内放送」っていう青春系のドラマで、念願だった女優デビューを実現したんです。
役柄とか出番の多さよりも、「やっと夢に一歩近づけた」っていうことが、白河さんにとっては大きかったんじゃないかと思います。
まとめ
- 幼少期から一貫して、夢を大切にしながら歩んできた人生。
- 留学や進学先の選択に、自分の意志と覚悟がにじんでいる。
- 芸能界デビューは、努力と家族の支えがあってこその第一歩。
白河れいさんの歩みって、静かだけどちゃんと熱があって。
青山学院でのびのび育ちつつも、イギリス留学や法政大学への進学など、自分の意思で道を選んでいく姿が印象的でした。
周囲に有名な家族がいる中で、自分の力で夢をつかもうとする姿勢がすごく素敵で。
芸能界デビューも、焦らずタイミングを見極めた感じがして、応援したくなりますよね。
これからの活躍がもっと楽しみになるような、そんな経歴だったなと思いました。
これからも白河れいさんを応援していきたいと思います。